nancolu

一般人の個人ブログです

受け手のレベルが低いと表現者もレベルを低くする



ちょっとタイトルが過激ですが、これで書いてみましょう。

『未来を生きる君たちへ』がかなり衝撃的で、今でもいろいろと思うところがあるのですが、また変なことになりそうなので、これについて書くのはやめておこうと思います。

ただ、別の方向でも衝撃を受けました。他の人がこの作品に対してどんな感想を抱いたのかが気になってネットで調べていたんですけども、「よくわからなかった」みたいな感想があったからです。確かに重いテーマを扱っているので難しい側面があるとは思うのですが、どうもそういう意味ではなく、作品の構成というか文脈というか、その辺が理解できないようです。子供たちの学校の場面と、アフリカの場面が頻繁に切り替わるため、何が起きているのかがわからなかった、と。また中には、ビッグマンのくだりに何の意味があるのかわからない、不要では?というものもありました。

映画というのはあまり説明を加えないものです。これにはいろいろと理由があるのですが、テンポが悪くなるというのが大きいと思います。説明するならば余計なカットを入れる必要があるので、ちょっとズレた感じがしてしまいます。また、わざわざ説明しなくても、画を見て文脈を追えば理解できるというのもあります。確かに、あえて説明を少なくすることで観客に考えさせる場合があったり、ひどいと説明がなさ過ぎて何が起きているのか全くわからない作品も中にはあるのですが、少なくとも『未来を生きる君たちへ』に関してはそういう類ではないはずです。変なひねりはなかったと思います。

つまり、映画は、基本的には理解できるように作られています。なにか伝えたいことがあるからこそ、映画という作品にして表現しているわけです。伝えたいことが伝えられないような作品をわざわざ作る人はいません(反対に、映画には明確なメッセージがあるからこそ、他の見方ができないという意味で批判がなされることもあるんですけど)。

では、なぜ理解できない人がいるのでしょうか。私はここにも記号的な思考(AI思考)が影響しているように思います。『YouTubeの視聴者はなぜ過激な動画を見るのか - nancolu』でも書いたんですが、文章を読む際に、文脈を無視して断片的に理解しようとする人がいます。どうも、文脈の無視が映像でも起きているように感じます。それぞれのカットを断片的に処理するがゆえに、カット同士のつながり、文脈が読みとれず、結果として何が起きているのかわからないということになるのではないかと私は想像します。

ここで、記事タイトルについてです。受け手のレベルが低い(というのは失礼な表現ですが)、ここでは映像が理解できないということですけども、こういう人が大多数であると、表現する側はその人たちに合わせて作品を作らざるを得なくなります。なぜなら、作品を見てもらい、お金を支払ってもらわなければ、生活することができないからです。市場を支配しているのは生産者だと考えられることがあるのですが、実際には、生産者は売れるものを作らないといけないので、消費者の好みなどが大きな影響力を持っています。まして、映画のように、制作にお金と時間がかかり、公開するまで売れるかどうかまったくわからないようなものに関しては、失敗を避けて消費者に合わせようとすることが多いです。

では、受け手のレベルに合わせて作品を作ろうとすればどうなるか。映画に関してはよく言われることなのですが、テレビドラマの延長で作品を作る、テレビCMやマーケティングなどを駆使してバンバン広告を出す、というような感じになります。一概には言えませんが、テレビドラマというのがそもそもそういう性質を持っていますし、さらに作品にではなく宣伝に多くのお金を費やしますから(お金をかければいい作品になるわけではないにせよ)表現の幅が限られてきます。そんなこんなで、中身のない、レベルの低い作品の完成です。