レースゲームにおけるタイムアタックの意義について


レースゲームをやっている人はタイムアタックをどのように考えているのか個人的に気になるところです。私が考えるほど問題ではないのかもしれませんが、一応私は問題だと思っているので、考えたことをまとめておきます。

問題

まず、ゲームとは何かについてです。これを細部まで考え出すと面倒になるので、ゲームデザイナーであるクロフォードの議論を使います。

遊ぶアクティブなエージェントとの、互いに干渉できるインタラクティブでゴール指向の活動(引用:ゲーム - Wikipedia

ここで重要になるのは干渉という要素です。言うまでもなく、タイムアタックに干渉はありません。タイムアタックは自己ベストを出し続けることが目的であるわけですが、記録更新を目指してプレイしている際に、過去や将来の自分のプレイに直接影響が出るなんてことはあり得ないわけです。そのため、タイムアタックはゲームではありません。どちらかと言えばスポーツでしょう。

それでは、レースをゲームとして捉えた場合、タイムアタックにはどのような意義があるのか。これが私の考える問題点です。

レースゲームにおけるタイムアタックの意義

結論から言うと、タイムアタックは戦略である、ということになるだろうと思われます。

レースで使うコースには理論上、最短距離(最適解)が存在します。中にはマリオカートのようにコースが変化するものもありますが、その変化には規則性があるのであり、その規則も含めて考えるとコースは不変です。

レースゲームの場合、自分は最適解をミスなく走ること、そして相手が最適解を走るのを阻止すること(干渉)が重要となります。つまりレースゲームに勝つためには前提として最適解を知っていなければなりません。この最適解を見つけるための研究がタイムアタックであるわけです。

タイムアタックで自己ベストを出せたということは、それが(現状の)最適解だということです。そして、干渉が発生するレースゲームにおいて、その最適解をできる限り忠実に走るにはどうすればいいのかを考えます。これは戦略と言えるでしょう。

ちなみに、実際にレースをしている中で、相手の位置などといった状況から最適解を走るためにどうすればいいのかを考えるのは戦術になります。これはタイムアタックとは別の形で研究する必要があるでしょう。

まとめ

タイムアタックを戦略と考えれば、レースゲームにおいても意義があると思われます。ただ、ゲームに主眼を置いた場合、どうしてもタイムアタックはレースゲームの手段となってしまいます。これはレースをゲームとして考えるかスポーツとして考えるかの違いでしょう。