宗教は危険?なぜ宗教戦争が起きるのか


宗教の大部分は、愛や平和、調和といったものの重要性を説いています。しかしその一方で、宗教に関連する戦争が起きているのも事実です。なぜ宗教は戦争を起こすのでしょうか?

宗教が直接的原因となることは稀

宗教に関連する戦争が起きているのは事実です。これは否定できません。しかし、宗教に関連する戦争があるからといって、その直接原因が宗教にあると考えてしまうのは早計です。宗教に関連する戦争が発生するまでには段階があるのです。

黒川知文さんという学者は、キリスト教と戦争がどう関連するのかを研究して、そのメカニズムを明らかにされています。

宗教、政治、社会、経済面における危機的状況において、特定宗教を奉じる国家あるいは集団に民族主義が融合し、それが排他的宗教運動に変容して、宗教戦争へと発展する(黒川知文『西洋史とキリスト教―ローマ帝国からフランス革命まで』教文館、2010年)

ものすごく大雑把に言うと、まずお金がないとか食糧がないとか自由がないなどの問題があり、その問題が国民などの集団の中で共有されて「この状況っておかしいよな!?」みたいな感情が生まれてきて、そこに宗教が入ってくると戦争に至る可能性があるという感じです。問題に対する反発を正当化するものとして宗教が利用されることがあるわけです。

というわけで、宗教が戦争の根本的な原因となっているのではなくて、何からの危機的状況が本当の原因になります。しかし、第三者からすれば危機的状況というのは認識しにくいもので、実際に戦争にまで至ってしまったときには、彼らは宗教を語るものですから、表面的には宗教戦争に見えてしまうのです。

日本でも宗教を使った戦争はある

宗教に関する戦争と言えば、日本においては海外の宗教、とりわけ一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)のイメージが強いでしょう。同時に、日本は多神教で寛容だから大丈夫という認識もあるように思われます。

しかし、日本でも宗教に関する戦争はあります。典型的なのは第二次世界大戦です。列強との関係の中で国家神道をまとめ、戦争で死ぬことは天皇のためになる、神の国日本のためになるのだ、という価値観が生まれ、正当化されました。神風特攻隊もこういう文脈から生まれてきたのです(ちなみに、日本でも話題になるイスラム過激派のテロの手法は神風特攻隊がルーツです)。

当時の日本の状況も、黒川さんのはキリスト教からの研究ですが、同じことが言えるでしょう(おそらく、当時の日本は一神教的だったからそうなったのであって、やはり一神教は危険であり、多神教こそが素晴らしいのだという反論が出るであろうと思われます。しかし、一神教の神というのはあらゆるものを創造した唯一の神なので、日本の当時の宗教を一神教と言うのは無理があります)。

多神教が悪いと言っているのではありません。この場合も、要は列強との関係が根本にあるのであって、多神教は利用されたに過ぎず、直接的な原因ではありません。ここで言いたいのは、どんな宗教であっても、戦争との関連を持ってしまう可能性があるということです。

宗教は危険か?

ある意味で、宗教は危険と言えるかもしれません。では、どの程度に危険なのか。それは人間が危険であるのと同じ程度に危険です。結局のところ、宗教の問題なのではなく、人間の問題なのです。

一人ひとりが責任を引き受け、自分の頭で考え、主体的に行動していかなければなりません。人間が引き起こした問題は人間が解決する必要があるでしょう。

暴力は決して許されるものではありません。たとえ、暴力を起こした側が被害者であったともしてもです。しかし、暴力を起こした人たちが何に怒っているのかを考えることは必要なのではないでしょうか。バーミアンの仏像破壊は象徴的です。長いですが引用しましょう。

私は、ヘラートの町の外れで、2万人もの男女や子供が、飢えで死んでいくのを目の当たりにした。彼らはもはや歩く気力もなく、皆が地面に倒れて、ただ死を待つだけだった。この大量死の原因は、アフガニスタンの最近の旱魃である。同じ日に、国連の難民高等弁務官である日本人女性(緒方貞子)もこの2万人のもとを訪れ、世界は彼らの為に手を尽くすと約束した。3ヵ月後、この女性がアフガニスタンで餓死に直面している人々の数は、100万人だと言うのを私は聞いた。ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱の為に崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人々に対し、世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ。(モフセン・マフマルバフ 『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』 現代企画室 2001年)

無関心こそが戦争の本当の原因なのかもしれません。