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一発逆転としての士業と学歴


ここ最近このブログでは、大学との関連で「学歴」について書くことが多いのですが、ちょっと視点を変えて、士業と「学歴」について考えてみたいと思います。

士業で一発逆転

「資格で一発逆転」というような言葉が割と使われます。資格に関連するweb広告やブログ記事、YouTube動画などで見ることができます。そして、それらにアクセスしてみると、内容としては、たいていの場合、士業が扱われるわけですね。

士業がここに出てくるのはそれなりに納得できるものがあります。まず、「一発逆転」が社会的地位の文脈にあることです。士業に関する資格は職業に直結するものであり、またその仕事は社会的にもそれなりに認められています。

そして受験資格がない、または何とかなることです。10士業の中で受験資格があるのは司法試験、税理士、社労士の3つです。司法試験は予備試験(要は勉強すればいい)があり、税理士はいろいろな方法があるのですが、これも勉強をすれば何とかなるルートがあります。社労士が若干厳しいものがあるでしょうか。しかし、ほとんどの士業は勉強さえできれば何とかなります。

つまり、今までの人生がどうであれ、勉強して結果を出しさえすれば職業人になれるという性質が士業の資格にはあるわけです。まさに「一発逆転」でしょう。

学歴をカバーするものとしての士業

士業の資格を取得して「一発逆転」というコンテンツを見てみると、「中卒・高卒でもやればできる」というように、学歴に触れているものが目立ちます。もちろん、これは先程確認した士業の性質を考えれば当然とも言えるものです。しかし、私としては、ここにどうしても違和感があります。なぜそこまで学歴にこだわるのでしょうか。

私が思うに、おそらくは、いわゆるレールが背景にあるのでしょう。つまり、よい大学に行ってよい会社に入って、というものです。一般的にこのレールの先に幸福があると信じられています。中卒・高卒の場合、レールの最初であるよい大学の時点で既にレールの外です。ですから、その先にあるであろう幸福には至らないということになってしまいます。

少し話がそれますが、教育は年齢に関係なく受けられます。特に大学は本当に年齢は関係なく、30代だろうが定年を迎えていようが100歳だろうが入学できます。なので、「高卒だから」というのであれば今からでも大学に行けばよいのです。しかし、そうはなっていないということは、やはり大学は就職予備校的な位置づけになっているのでしょう。

話を戻しますけど、以上を踏まえておくと、士業の資格の位置が見えてきます。つまり、士業にはそれなりに難しい試験があるわけですが、これが大学の代わりとなり、そして士業という職業が会社の代わりとなっているのです。そして、士業として頑張っていけば、その先に幸福があるという感じでしょうか。

個人的に興味深く感じているのは資格偏差値なるものがあることです。これは大学偏差値を資格の難易度に応用したものであると思われます。一般的に、よい大学であるほどよい会社に行けると考えられていますが、言い換えれば、難しい試験を課す大学に合格できるほどさらなる幸福が得られるということです。これが資格になると、難しい資格を取得できるほどに幸福が得られるということになります。

このように考えると、士業の資格は、レールから外れてしまった人からすれば、救済処置的な意味合いがあるように感じます(くどいですが、だからこそ「一発逆転」なのでしょうけども)。

一発逆転としての士業の問題点

いくつか指摘してみます。

まず、士業に序列をつけてしまうことです。士業を一発逆転として捉えた場合、難易度が重要なものと認識される傾向があります。そうすると、難しい資格ほど偉いとなってしまいます。これは司法試験、司法書士、行政書士において顕著です。司法試験合格者が最も偉く、司法書士はそれに受からなかった出来損ないで、行政書士はそれ以下、というようにです。しかし、それぞれの資格が設置されている目的は質的に異なっており、試験の難易度で客観的に評価をはじき出せるものではありません。これは大学における偏差値でも同様なのですが、以前記事にしたのでそちらも参照していただければと思います(学歴と偏差値と人生)。

次に、資格を取得したあと、専門性に悩むことになります。弁護士とか司法書士とか行政書士とかといった士業は職業であるわけですが、職業は目的ではなく、表現の形式に過ぎません。やりたいことがまずあって、それを実現するための1つのアプローチとして職業があるのです。たとえば、病気で苦しんでいる人を助けたいとします。病気を直接取り除く方法として外科医があり、薬を使って病気を直していく方法として薬剤師があり、そもそも病気がどういう性質であるのかを明らかにするものとして研究者があり、病気に直接介入するのではなく病気でありながらも積極的な人生を送る手助けをするために宗教者があり、というようにです。資格取得が目的になると、結局、業務に統一性がなく、自分探しをすることになるか、あるいは資格を取って仕事はしないといようなことになります。資格を持っているだけでは何者にもなれないのです。

一発逆転としての士業の背景にはレールがあると思われますが、このレールは一つの価値観に過ぎません。ですが、学歴や士業の資格にこだわっている人は、これを現実であると信じています。私に言わせれば、これは宗教以外の何物でもありません。彼らは学歴や高難度資格があれば幸福になれると信じています。ですが、なぜそれがあると幸福になれるのかを説明することができません。なぜなら、それは触れてはならない教義であるからです(いい宗教と悪い宗教の違い)。このような信仰は生き方を狭めてしまいます。端的に言って、そういう生き方はつらいだろうと思います。