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聖書は気持ち悪いのか?



タイトルすません。誤解があるかもしれませんが、私がそう思っているわけではないです。私が気になるのは、聖書は気持ち悪いと思っている人はなぜそう思うのかについてです。

聖書が気持ち悪いと思っている人は、少なからずいると思います。はっきりと口に出す人は珍しいと思いますが、感覚的にそう思っているんだろうな、と感じることはあります。ネットならそういった書き込みを見ることもできますね。

何らかの信念があってそう感じるのであれば(それでも「気持ち悪い」という表現はどうかと思いますけども)、私はわからないでもないです。例えば、ほかの何らかの宗教を信仰していて、それ基づいて聖書は読めない、というような。あるいは、別に宗教でなくても、科学とか何かの学術的な研究をしていて、それに基づいて主張する場合などです。

自分なりに考えた上で受け入れられないというのならわかるのですが、多くの場合はどうもそうではなさそうです。聖書と聞いただけで抵抗がある、聖書に触れたら何か変なことになりそうみたいなイメージがある、というような。触れるだけで何かなりそうって、それこそ何かの宗教かと思わないでもないんですけども、でもそういう風に感じる人もいるようです。

しかし、彼らが言う「気持ち悪い」聖書から生まれているものが多くあります。日本の身近なものでいえば大学がそうでしょうか。上智大学とか青山大学とか同志社大学とかはキリスト教の大学です。あと、東大はなかったと思いますが(あったらすみません)、京大はキリスト教学科がありますし、こういう日本を代表するような大学で聖書の講義が行われています。日本ではないですけども、ハーバード大学やオックスフォード大学のような一流の大学でも建学の根本にはキリスト教があります。

大学以外にも、文化的なもので聖書の影響を受けているものは多いです。レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は聖書に書かれているものを絵にしたものです。音楽でも文学でも西洋哲学とか社会を基礎づける思想とか社会活動などにも聖書が影響を与えています。

それに、日本では少ないですけども、キリスト教を信仰する人は世界で20億を超えており、約3人に1人が信仰していることになります(もちろん、信仰している人のすべてが聖書を読んでいるわけではないでしょうけども)。

こういう現実を踏まえたうえで、「気持ちが悪い」と判断するのはよっぽどのことなのだろうと思うんです。あえて「普通」という表現をしますが、普通の人であれば、なぜ聖書はそれほど大きな影響力を持つのだろうか、聖書の何が人々を魅了するのだろうか、というような疑問を抱きます。普通の人は、聖書に限らず、現実に起きている現象を見たうえで、なぜそうなるのかを考えます。場合によっては、理解できない自分のほうに何か問題があるのではないかと感じることもあります。それに対して「気持ち悪い」と感じる人は、ただ「気持ち悪い」のです。端的に言えば、それは傲慢です。そして自己閉塞的でもあります。ハッキリと言ってしまえば、大衆性の高さの1つの特徴でしょう。

最初にも書いたように、何らかの信念とか考えがあって、それに基づいてそう感じるのであれば、私はそんなに悪いことではないと思います。ただ、そういう場合も、やっぱり対象を理解しようとするものです。理解しないとおかしいなんて思えませんからね。理解してないのにおかしいといえる方がむしろおかしいです。ただ何となく「気持ち悪い」と言うのは視野が狭いように思います。

最後に余計なことを言いますが、大学生についてです。さすがに理系であれば方向性が違うのでちょっと酷ですが(昔はかなり勉強していたようですけども)、文系であれば聖書の有名箇所くらいは知っておきたいところです。文系で、特に専門知識はないし、英語はできないし、これだけグローバルが言われている中で文化の基盤ともなっている聖書を知らないのでは、一体大学で何をしていたんだろうかと感じてしまいます。そしてまた、そういう状態に陥っていることを自覚した上で、その自分を擁護するために、「文系の学問は役に立たない」と言うのは、愚かとしか言いようがありません。