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精神的に楽になるための方法



個人的に、これをやっておけば精神的に楽になれる、あるいは維持できる、という方法が4つあるんですけども、それを簡単にまとめておきたいと思います。なんか、前にも似たようなことを書いたような気もするのですが、まあいいや。

散歩

まず散歩です。自宅の周辺を10分程度歩いたりとか、そんなんです。

私は、精神的なもの、というか考え方というか、そういうのは体の影響を受けていると思っています。アルコールを飲めば酔って考え方がポジティブになることが多いですし(逆になる人もいますが)、寒かったり暑かったりするとイライラしたりもしますが、同じように精神的に辛いときや不安定であるというのも、自分が積極的に不安定になろうと思っているわけではなく、何らかの刺激に対する反応だろうと思います。刺激は体が感じるものですから、体を整えれば精神的にも安定するだろうということです。

そのために、比較的簡単に出来る方法として、散歩があるだろうと思うんです。散歩は意外と体全体をバランスよく使うことができ、また視覚的にも面白いものがあります。

一時期、歩くのが面倒で、スクワットだったらその場でできるじゃん、と思ったんですけども、単に体に負担を与えるだけで、あまり良いものではないなと感じました。体を鍛えるという意味ではいいかもしれませんが、精神的な楽のためにはあまり向かないと思います。

立禅

立って行う禅のことを立禅といいます。考え方は散歩と同じで、体を整えれば精神的にも楽になれるということです。この現代社会において、普通に生きていると、姿勢がおかしくなります。それを整えようということで立禅です。

ちょっと話がそれますが、学校の体育で「気をつけ」とか「休め」とか体育座りとかやると思うですが(今でもありますよね?)、あれは体の姿勢を崩すものだと思っています。やらない方がいいと思います。「気をつけ」って足をピンと伸ばすでしょう、あれって不自然なんですよ(必ずしも自然が正しいわけではないのですが)。スポーツするときに直立してたら「お前やる気あるんか?」と監督に怒られますが、直立していると動けないんですね。そもそも何に気をつけているのかって話なんですが、まあそういうことなのでしょう。

それに「休め」に関しても、足広げて手を後ろに組めば、体が休まるなんてことはなくて、これも本来は足を曲げて、体の重心を下に、おへそ辺りに持ってこないといけません。「気をつけ」とか「休め」はどうしても重心が胸のあたりに行くので、ふらつくんです。安定しないんですね。ちなみにマサイ族が物凄いジャンプをしている様子をテレビで見たことがある人は多いと思うんですが、あれは重心を頭に持っていくことで可能にしています。重心をどこに持っていくかで体は変わるんですね。そして、日本のような生活では、重心はおへそ辺りに持ってきた方がいいです。胸に持って行ってもメリットないです。

ただ立禅はかなり難しいので、最初は誰かに指導してもらった方が良いように思います。

読書

読書はそのままですね、本を読むということです。やっぱり体だけを整えれば精神的にも安定するということはなくて、精神的なものが本当にあるのかどうかは別にして、精神的なものに直接関わるような形のものが必要だと思います。それが読書です。また読書はできる限り自分に馴染みのない考え方をする本の方が良いだろうと思っていて、これは自己の相対化でもあります。

あと、ちょっとそれますが、勉強の意味としてもあるかもしれません。本を読むことで、自分が知らなかったことを知ることができます。たまに何でも自分で見つけないといけないと思っている人がいるのですが、既に他人が見つけたものは、自分で見つけるよりも勉強している方が早いです。

日記

必ずしも日記でなくても良いのですが、何かを書く、というのが非常に大切だと思っています。極論、自分の何かを表現できていれば形式はなんでもいいとは思うのですが、ただ自分以外の他人にも理解できうるものとしては、文字というのが良いだろうと思います。また必ずしも他人が見る必要はなく、見られるかもしれないという可能性です。たとえ他人に見せるつもりのない日記であっても、文字にした時点で、絶対に他人を想定します。想定せざるを得ません、無意識的であったとしてもです。そしてこれはコミュニケーションです。最近では就活やビジネスセミナーなどで、「コミュニケーション能力」という言葉が使われているのですが、コミュニケーションを能力だと認識しているのは、本当に残念なことだと思います。

また、話がそれますが、研究の意味もあるかもしれません。勉強と研究の違いは、勉強が誰かが既に見つけたことを理解することで、研究はまだ誰も知らないことを見つけることです。勉強が教科書を読むことであれば、研究は教科書を作ることです。日記はある種の発見なのでしょう。

要点

私の場合は上の4つを意識しています。で、人によっては合う合わないがあると思います。ただ精神的に楽になるための方法というのは、方法は違ったとしても、やっていることは恐らく共通しているのだろうと思います。それは、複雑性を持つ単純です。

散歩なんか歩くだけでしょう。極めて単純です。でもどこを歩くか、同じ道でも右端を歩くのか左を歩くのか、あるいは真ん中をあるくのかと選択できるところは山ほどあります。また日によって景色も変わるでしょう、今日十円玉が落ちていたところに、明日には犬のフンが落ちているかもしれません。同じものはないはずです。読書でも、本を読むという単純なことです。でもどんな本を読むのか、また同じ本であっても、再び読んだときには解釈が変わることもあります。

そう言えば、映画のスカイ・クロラで、最後に「いつも通る道でも違うところを踏んであるくことができる。いつも通る道だからって景色は同じじゃない。それだけでは、いけないのか。それだけだから、いけないのか。」みたいなのがあったと思います。個人的にこの表現は、なんだかなぁ、みたいなところがあって、それだけだけどそれだけじゃないんですよ。これは、形式としてはそれだけだけど、内容としてはそれだけではないということです。単純の中に複雑があるのです。単純だけを見るから「それだけ」になっちゃうんです。ポイントは、複雑性を持つ単純です。複雑に耐えられない人は苦労すると思います。

それから、体と精神ですね。この2つに関するところの、複雑性を持つ単純を意識することが大切だと思います。体が精神をつかさどるのか、精神が体をつかさどるのか、あるいは体も精神もそもそもないのか、その辺のことはわかりませんが、しかしそれでも2つの手入れは大切だと思います。