シュヴァイツァーの生命への畏敬という考え方



シュヴァイツァー

シュヴァイツァーはドイツ系の神学者、医者、オルガニストです。出身はカイザースベルクです。ドイツとフランスの国境線で、当時はドイツ、今はフランスになるため、その生涯においてもややこしいところがあるのですが、その辺は「アルベルト・シュヴァイツァー - Wikipedia」の方が詳しいでしょう。

細かいことは置いといて(大切なのですが)、シュヴァイツァーはノーベル平和賞も受賞しているので、宗教とか関係なく知っている人も多いのではないかなぁ、とは思います。

生命への畏敬

シュヴァイツァーで一番有名なのは、生命への畏敬でしょう。改めて学んでみるとなかなかすごいことを言っているな、と感じます。『わが生活と思想より』に出てくるのですが、生命への畏敬を簡単に言うと、

わたしは、生きようとする生命に取り囲まれた生きようとする生命であるという事実

ということになります。言うまでもなく、私たちは生きています。周りの生き物たち、犬や猫、イノシシ、熊、虫、魚なども同じように生きています。そして、その生き物すべてが生きようとしているわけですね。その点では、生命に優劣は一切なく、どんな生命であっても価値は同じです。

また、どんな生き物であれ、他の生き物の犠牲なしには生きることはできません「私」というのはまさに他の生物によって成り立っているのであり、自分の中に他の生命を体験することができるわけです。

これは、すごく重要なことを言っているように感じられます。「私」というのを独立して考えるのではなく、他の生き物との関係性において捉えることは、今の時代には特に重要ではないでしょうか。

もちろん、この生命への畏敬には批判も多くあります。どんな生命の価値も同じであるならば、人間とハエのような害虫と呼ばれるようなものにも差がなくなることになります。

しかし、そういった人間中心主義や自己中心主義のように、自分が最も価値があり偉いのだという態度が、またそのぶつかり合いが争いを引き起こしているのであり、生命を同価値と捉え、人間中心・自分中心の考えを捨てることは「平和」という概念を考える上で極めて重要なことです。

日本や東洋の思想に近い?

この生命への畏敬という考え方は、日本人にはあまり違和感のない考え方ではなのではないでしょうか。というのも、日本や東洋の思想に割と近いところがあるからです。

他の生命が自分の中にあり、また、自分の生命がいずれは他の生命につながる、というのは、どことなく輪廻思想に似ています。インドでは今でも輪廻思想が強く残っている地域もあるのですが、ハエですら「もしかすると先祖かもしれないからね」というような感じで殺さないこともあるくらいです。

確かに、輪廻思想なんか現代の科学の前では役に立たない、という考え方もできるでしょう。しかし、分子レベルまで考えるならば、自分の体は他の生物からの生まれ変わりであり、将来的に自分が死んだらその体は分解されて別の生命に生まれ変わると考えることだってできます。

日本にはもともと生命の畏敬に近い考え方が昔からあったと考えることもできますが、しかし現代社会は西洋の影響を強く受けているので、今一度、このような視点を振り返ることは無駄ではないはずです。

(ちなみに一神教が暴力的だと言っているのではありません。たまに偉い学者でも「一神教は暴力的だから多神教の方が素晴らしい」みたいなことを言うことがあるのですが、多神教でも暴力性や排他性というのはあるのであって、そこにはエスノセントリズムが潜んでいるように思われます)