おもてなしはそれだけでは成立しない


もてなされる

インバウンド需要などもあってか、おもてなし力といったものが注目されています。もてなすことは重要です。しかし、もてなしはもてなして終わりではありません。もてなされる側の振舞も重要になってきます。

これは茶道がわかりやすいかもしれません。京都では茶道の体験もできますので、やったことのある人もいるでしょう。お茶を入れる方はお客さんのために一生懸命やるわけですけど、ではお客さんは好きなように飲んで良いかと言えばそういうわけでもなくて、それなりの仕方でお茶を頂かないといけません。「これどうやって飲めばいいんだろう?器って3回まわすんだっけ?」のように戸惑う人もいるでしょう(まあ別に好きなように飲んでいいんですけど)。

おもてなしを受けるというのはそういうことです。おもてなしが成立するのは、もてなす側ともてなされる側の水準が同じ場合に限ります。そうでないと、どちらかが困ることになります。本来的なことを言えば、もてなす側はもてなされる側の水準をあらかじめ知っておくことが求められ、それに合わせるのがベストです。表現は悪いですが、くだらない人間に対して十分なもてなしをする必要はありません。これは両者にとって重要なことです。

攻撃的なおもてなし

茶道のように、高度なおもてなしを受けた側はどう対応していいのかわからなくなることがあります。そのため、これを応用することで、おもてなしを攻撃として使うことができます。

典型的なのは社長室です。社長室が豪華になっていることは珍しくありません。これは社長の趣味や大事なお客さんを歓迎する意味もあるのですが、訪問者を威嚇するという意味を持つ場合があります。面接や商談などで社長室に入った際に、部屋の雰囲気に圧倒されて頭が真っ白になってしまった経験のある人もいるでしょう。こうなれば社長は自分のペースで会話を展開することができるようになるのです。

攻撃的なおもてなしというのは世界各国、時代を問わずあるようです。有名なのはバイキングの撃退です。バイキングは圧倒的な力を持っているので、まともに戦っては勝てません。そこで国の王様は直接的に戦うのではなく、立派な宮殿にバイキングを招待してもてなします。バイキングは丁重にもてなされることに慣れていないため、どう対応していいのかわからず、場に合わせてしまうというわけです。

誤解されるおもてなし

上記のようなことが起こるため、普通、おもてなしはわかる人にしかしません。逆にわからない人はそういう場には行かないものです。そのため、以前は人々が行ける場はある程度固定されていました。しかし、メディアの発達や生産者と消費者の立場の逆転が起きたことから、従来では行くことがなかったであろう場に誰でも堂々と行けるようになります。これ自体は別に悪いことではないのですが、もてなされることに慣れていないがために面倒が生じることになりました。

よくあるのは飲食店です。まともなお店であればお客さんによって対応を変えます。これはおもてなしをしっかりとしているからです。しかし、それが理解できない人も行くようになったので、ネットには「他の人と同じ料理を頼んだのに、他の人の方が豪華でした。このお店は人によって料理の内容を変えるのでしょうか?星1つです」みたいな口コミが書かれることになります。

そんなわけで、面倒を避けるために、あえておもてなしをしないというお店もあります。そして皮肉なことに、ネットには「素晴らしいおもてなしでした」といった口コミが書かれたりもします。「おもてなし」は単に、従来以上に礼儀正しい程度の意味になってきているようです。さらに、「お客様は神様である」という言説の誤解とも合わさって、おもてなしをするほどにお客さんが傲慢になるという現象も起きています。

まとめ

おもてなしは、もてなされる側とのコミュニケーションです。そのため、一方的なおもてなしはおもてなしになりきれていません。また、おもてなしは、もてなされる側もそうですが順序してはおもてなしが先になるために、そうとう高度な技術が必要です。これは教育とかでどうにかなるものではありません。ここ最近、「おもてなしの教育」が行われているようですが、画一化されたそれは、おもてなしとは決して呼べないでしょう。