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人間関係の省略としてのお金とその問題点


お金を使ったやり取りが空気のようなものになってきたために、人間関係が成り立たなくなってきていることについて書いてみます。

「メニューが他の人と違うので星1です」

食べログなどの飲食店レビューサイトを閲覧していると、たまに見出しのようなことが書かれているのを見つけることができます。これが何を言おうとしているのかについて少し具体的に書くと、まったく同じ注文をしたのに人によってその内容が違う、ということです。たとえば、お寿司屋に行って10巻頼むとします。すると、隣の人は、イクラとかウニが出てくるのに、自分には出てこないというような感じです。また、天ぷら屋に行くと、隣の人と自分のとで塩が違うとかですね。

このように、同じ注文をしていても内容が違うというのは割と普通にあります。しかし、このことを理解できない人や納得できない人が、ここ最近徐々に増えてきているのかもしれません。

一応、なぜ同じ注文なのに内容が違うのかについて簡単に説明しておきます。これは人間関係が前提されているからです。つまり、常連さんあるいはお得意様だから良いものを出しています。毎日お昼を食べに来てくれるお客さん、頻度はそれほどではないにせよ夜にも来てくれるお客さん(昼と夜では値段が違いますよね)、こういう人には日頃の感謝を込めて良いものを出すものです(まあこれは客がそれを期待するのはあまりいいものでもないのですけども)。

おそらく、食べログなどを使っている場合、よくわからないお店を調べて評価を参考にして行くのだと思われます。つまり初めて行くお店の場合に食べログなどレビューサイトを使うことが多いのでしょう。その場合、自分は初めてなので他のお客さんも同様に初めてなのだろうと考えてしまうのかもしれません。しかし、お客さんと店主の関係は表面的には外部からわからないものです。このあたりに想像力が及ばず、メニューの違いだけを取り上げて非難するのはちょっと恥ずかしい。

なぜこうなってしまうのか

これについてはさまざまな原因を指摘することができるかと思われます。しかしながら、いちいち指摘しているとかなり話が飛んでしまうので、ざっくりと一言で言うと、お金を使ったやり取りがあまりにも当たり前になった結果なのでしょう。

たとえばこれは昨日記事に書いたことと関連するのですけども、昔から困ったときはお互い様みたいな精神があったわけです。昨日のは給湯器に不具合が発生し、知り合いに助けてもらったのですが、その代金は払っていません。相手も求めてません。ではどうするのかと言えば、相手が困ったときにこちらが助けます。貸し借りというか、そういうのです。

この貸し借りがなぜ成立するのかと言えば、これは「お金とは何か」という話にまで発展するのでここでは詳述しませんけども、信頼関係ができているからです。逆に言えば、信頼関係が構築できていない人と取引をする際に、それを省略する機構としてお金があります。なので、大企業みたいな、多くの人とやり取りをする必要のあるところはお金なしには成立しません。

チェーン展開している飲食店はその典型でしょう。何かしらのサービスを提供する以上、それに見合った対価は絶対に必要です。お客さん一人ひとりを記憶して、この人は常連、この人は初めて、というような記録は残せないからです。一人ひとりを識別できないので、画一的な対応をせざるを得ません。

しかし、大規模なお店に信頼関係のようなものがまったくないわけではありません。つまりポイントカードです。個人などの小規模なお店なら顔を見て「〇〇さん、こんにちは、いつもありがとう!」と人間的に対応しますが、大規模なお店は「番号1234-5678-9サン、コンニチハ」みたいに機械的に処理します。前者はお客さんの好みに応じて柔軟にサービスできますが、後者は〇〇円で〇〇ポイントというように画一的になります。これは一概に良い悪いは言えないのですが、大規模なお店はこうやって人間関係を省略しているのです。

そして、小さいときからずっとチェーン店などの大規模なお店ばかりを利用していると、人間関係を省略することに慣れてしまい、人間関係を重視するところ(重視といってもこれが本来の在り方なのですが)をたまに利用すると、人間関係を想定できず、戸惑ってしまうというのは十分に考えられることです。

いろいろなところで問題が

以上のような人間関係の省略によって、いろいろなところで問題が生じているようです。飲食店はそのわかりやすい例なのですが、深刻になりつつあるところでは教育現場をあげることができるでしょう。

これは大学の話なのですが、授業を休講にしたところ、学生がその分の授業料の返還を求めたという例があるそうです。これは確かにわからないでもありません。しかし、これを主張するならば、おかしなところが出てくることになります。

つまり、授業に対してきっちりとお金のやり取りをするならば、学生は授業時間外に教員へ教授を求めてはなりません。なぜなら、授業に対してお金を払っているのであって、授業時間外の質問や相談にお金を払っているわけではないからです。この学生の主張を認めるならば、先生は「質問するならお金を払ってください」と主張すべきでしょう。お金でやり取りをするというのは、そういうことなのです。

まとめ

意識していない人が徐々に増えてきているようなのですが、人間関係とか信頼関係を前提になりたっているサービスは非常に多いです。しかし、お金のやり取りをそういったところにまで介入させると、途端に破綻してしまいます。なんだか社会が殺伐としてしまっているように感じます。