若者の人間離れが起きる理由とは?



結論としては、リアルとバーチャルの関係がおかしくなっているから、ということになります。

リアルとバーチャルの関係

本題に入る前に、リアルとバーチャルは本来区別することができないということについて考えておきます。

これは国で考えるとわかりやすいでしょう。地球上に国境は存在しません。人間が頭の中で勝手に「ここからここまでは我々の土地だ」と言っているだけです。そのため国はバーチャルになります。しかし同時に、私たちは国があるという前提のもとにさまざまな仕組みを作り、それに従って実際に生活をしています。なので国はリアルとも言えるのです。このリアルとバーチャルの間に境界線はなく、曖昧です。区別はできません。

わかりやすさのためにもう一つ例を出しておきます。お金も国と構造は同じです。お金はただの紙切れに過ぎません。電子マネーに関してはただのデータです。つまりお金はバーチャルです。しかし、私たちは実際にお金を用いて生活しているのであり、それはリアルになります。ここにも明確な境界線はなく、区別はできません。

リアルとバーチャルは区別できるという認識

以上のようにリアルとバーチャルは本来区別できるものではありません。これはリアルとバーチャルがないというわけではなく、両者は確かにあるけども、その線引きは曖昧だということです。

しかし、時代が進むにつれ、特に若者にその傾向が見られるのですが、リアルとバーチャルは区別できる、両者を明確に線引きできる、と認識するようになりました。これが冒頭に書いた「リアルとバーチャルの関係がおかしくなっている」の意味です。

ちなみに、リアルとバーチャルを区別できるという認識は、現実感の欠如から生じます。バーチャルは人間からしか生まれません。そして、その人間は唯一のリアルの中でしか存在しえないものです。つまり、バーチャルは常にリアルの中で展開されます。にもかかわらずバーチャルをリアルから取り出せるというのは、端的に言ってリアルを知らないのです。そのため、そのような認識をする人が使う「現実」の意味は少し異なっており、一般的な意味での「価値観」とほぼ同義だと思われます。

人間性はバーチャルとの関係から生まれる

「若者の人間離れ」は若者から人間性が感じられないという意味です。動物と人間を区別するものとして、火、道具、言語の使用が有名ですが、象徴という観点から区別することもできます。象徴があるからこそ、ただのモノに意味を見出すことができるのです。そしてそこから人間らしい行動が生まれてきます。

リアルとバーチャルは区別できるという認識から、若者はモノをそのままモノとして捉えるようになりました。彼らの中には「自分は現実だけを見て生きているのだ」と誇ってさえいることもあるのですが、それはただ想像力が欠如しているだけであり、動物化でしかありません。そしてだからこそ、その上の世代からは人間離れを引き起こしているように見えるのです。

若者が言うようにおかしなバーチャルは確かにあります。実際には同じ人間なのに、そこに権威を認め、ペコペコしながら生きるのは、ある意味では滑稽でしょう。創世記には人は神から創られたと書かれています。これは、すべての人間は神によって創られたからこそ平等なのであり、上下はないという意味です。創世記が書かれた当時には権力を持った人間に富が集まっていました。それの相対化として、そのような記述がなされたと考えられています。現代の若者が高級時計をただの時計と見るのはある意味では正しいでしょう。

そして同じ創世記に、人間は土の塵に過ぎないとも書かれています。これは正しいです。客観的に見るならば人体はモノに過ぎません。死体を放置すれば分解されて土にもなるでしょう。しかし、それを認めた上で人格というバーチャルを与えているのです。それゆえ人間的な生活を送ることが可能となります。バーチャルに傾き過ぎるのはダメだけども、リアルだけに傾くのもよくありません。バランスが重要なのです。

いつから「若者」の人間離れは起き始めたのか

「若者が人間離れしている」と言っている世代は、その上の世代から新人類と呼ばれる程度には人間離れしていました。そして新人類と言っていた世代もまた、その上の世代から色々と言われたわけです。確かに人間離れの度合いの違いはあるでしょうけども、人間離れそのものが始まったのは今ではありません。

では、「若者」の人間離れはいつ始まったのでしょうか。これは一概には言えませんが、日本においては、明治期に行われた同化政策がきっかけとなったように思われます。同化政策以前は地域ごとに風習(宗教)があり、それがリアルとバーチャルを結び付けていました。しかし、以後は、風習は迷信と見なされるようになり、排除されていきます。これによってリアルとバーチャルの関係が徐々におかしくなったいったと思われます。

ここまで宗教の話をちょこちょこと出しているのですが、リアルとバーチャルの関係は宗教と無関係ではありません。長い人類史においてリアルとバーチャルを結び付けていたのはまさに宗教だったのです。しかし、現代では、宗教はおかしなものという認識が拡大しており、リアルとバーチャルが分断されるようになっています。また、宗教の埋め合わせのように現れたのがサブカルチャーですが、サブカルはリアルとバーチャルの関係を結び付けるというよりも、関係の乱れをよしとする面があるようです。

さいごに

リアルとバーチャルの関係がおかしくなることで、根源的な気分としての空虚が生まれます。宗教に頼らずしてこの空虚を埋めるにはどうすればよいのでしょうか。私たちはまだこの答えを見つけることができていません。