なぜ宗教を信じることができるのか


日本に限らず先進国では世俗化が進み、宗教を信じている人が減少してきています。そういうわけで、宗教を信じていないのが普通だという雰囲気があり、その中では宗教を信じている人に対して「なぜ信じることができるのだろう」と疑問が生じることになります。これについて考えてみます。

自己の有限性の自覚

もちろん宗教を信じる理由は人によって異なります。しかし、ある程度は共通しており、それは結論から言えば、自分の限界を知っているからです。

たとえば、病気になってしまったとしましょう。この病気に対して自分はどうすることもできない。医者に頼ることはできるけども、でも治る治らないは結局のところわからない。このような状況になったとき、人間にはただただ祈ることしかできません。

そのような生命に直結するような問題でなくても、次のような例も考えられます。希望する大学に絶対合格したい。自分としては一生懸命勉強したつもりだし、あとは試験本番で成果を出すだけ。でも、絶対確実に自分の実力が出せるとは限らないし、もしかするとまったく勉強していなかった問題が出題されるかもしれない。その先はやってみないとわからない。この点に関しては自分にはどうすることもできない。少しでもよい状況となるようにと思えば、それは祈りに至るでしょう。

限界が祈りに至る典型的な例があります。「こだま」すなわち音速を超えた先には「ひかり」があります。光はもっとも速いもので、これを超えるものは発見されていません。ここに限界があるわけですが、そこを超えるものとして「のぞみ」を設定しました。つまり新幹線の話をしているのですが、限界を超えると必然的に祈りに至るのです。このような感覚は無意識的に共有されています。

さいごは宗教を知っているか否か

実は、意識していないだけで、ほぼすべての人は自分の限界を自覚して祈りを捧げています。

年が明けたら日本人は神社に行ってさまざまなお願い事をします。それは安全祈願や健康祈願であることが多いわけですが、安全や健康といったものは究極的には自分がコントロールできるものではないという自覚があるからこそなされます。自分で完全にコントロールできることをわざわざカミに祈ったりはしません。このような行為は明らかに宗教です。

宗教を信じていない人はおそらく存在しないでしょう。にもかかわらず宗教を信じているという自覚がないのは、結局のところ、宗教を宗教として認識していないだけの話であり、より端的に言えば、宗教の知識がないだけなのです。