nancolu

一般人の個人ブログです

何でもかんでもランキングにしたがる人たち



意味が分からないランキング

確かにランキングは非常に分かりやすいので、便利な指標にはなると思います。しかし、なんでもかんでもランキングにすればよいというわけではないでしょう。

最近ちょっとした趣味になってきたのですが、ブログにどんな検索ワードでアクセスがあるのかをチェックするのがなかなか楽しいです。その検索ワードから人々が(といっても限られていますが)どんなことに興味を抱いているのかを想像することができるからです(もちろん個人の特定などはできませんし、するつもりもありません)。

それで、ランキングに関するワードが目立つんです。私はこのブログで大学に関してくだらん記事を書くものですから、大学に関するランキングが多いんですけども、東大京大が一番すごくて、次に早慶で、次にマーチ・関関同立・その次に日東駒専・産近甲龍という感じのですね。この序列は昔から言われていることではあるし、ある意味では仕方がないところがあるのかもしれませんけども、でも偏差値という数字だけで大学を判断しようとしているわけで、そこでどんな研究や教育が行われているのかといった中身に関してはほとんど考慮されません。私立であれば最低限建学の精神くらいはチェックしておきたいところですが、それすらも興味がないようで、私立では宗教系の大学は多いですが(上智はカトリック、同志社はプロテスタントなど)、自分の出身大学の宗派すら分からない人もいるようです。

あと、最近あったのは「仏教系大学 ランキング」。煩悩まみれですね。いやまあ、このワードはあくまでも「仏教系大学 ランキング」だったので、なんのランキングであるのかはわからないのですが、でも恐らく偏差値でしょう。仏教でも宗派が全然ちがうのですから、たとえ同じ仏教系大学であったとしても、そこで学べる内容は全く違うはずです。ていうか、仮に数字で優劣を付けるにしても、今の日本の大学なんか高校生がそのまま上がるだけなんですから、高校生の段階で仏教に興味を持つ人間がどれだけいるのかって話です。偏差値が高くなるわけないでしょう。

それから意味がわからなかったのが、「美しい大学ランキング」。そんなものにランキングをつけるな。美しいかどうかすら自分で判断できないのか。

くだらない人間ランキングとかも出てきそう

上に書いたのは私のブログの検索ワードに限ったことなのですが、他を当たれば恐ろしいほど滑稽なランキングも数多くあります。このままでは、その内、下らない人間ランキングとかも出てきそうな気がします。いや、もうあるかもしれません。

最近では、誰もがSNSアカウントを持つ時代ですが、SNSの投稿内容、そこから趣味趣向や行動範囲、人間関係などを明らかにしていって、その総合から人間力(?)を測ることもできそうな気がします。実際に、某金融機関はSNSの内容から信用度を測ることをしているようですし、あと以前騒動になったバリューも(私はあまり仕組みを知らないのですが)フォロワーの数から自分のある程度の値段が算出されるようです。

たぶん、やるかやらないかだけの話で、技術としては可能なのだろうと思います。であるならば、なんらかの組織とかのランキングではなく、人間個別のランキングも出てきそうに思うんですよね。

ランキングで楽しんでいる人は評価する側に立っているのだろうと思いますが、いつでも評価される側に回ってしまう可能性があるわけで、これは笑っていられないような気がします。就活生が面接を受けて「30分足らずで自分の何が分かるんだ」とか言うことがあるようですが、30分会ってもらえるならまだマシな方で、今後はSNSから作られた、ネット上の個別人間ランキングという「客観的な」数字だけで判断されてしまうかもしれませんね。

ランキングで判断するということは、ランキングで判断される可能性が常にあるわけで、自分だけがランキングの外にいられるなんてことは甘い認識であると思います。

なぜランキングに頼るのか

そもそもなぜランキングに頼ってしまうのでしょうか。私の勝手な想像ですが(上のやつも全部想像ですが)、1つはコミュニケーションが取れないのだと思います。

「コミュニケーション能力」という言葉もありますが、コミュニケーションは今の時代では能力として理解されています。別にコミュニケーションなんか人間であれば(それ以外の動物も)当たり前のようにしているのですから、わざわざ能力として磨く必要はないのですが、しかし彼らは「伝わる技術」だとか「話し方が9割」だとか何だか知りませんけども、そういうのを学ぶようです。そういう能力を磨けば磨くほど上下関係が生まれるので、知らないならバカですし、わかっててやってるなら信用できないのですが、コミュニケーション能力の理念に反して(?)人間関係には溝が生じてしまいます。でも結局のところ、意識的であれ無意識的であれ、この上下関係がやはり重要なようで、自信がない人にとって他人よりも上に立てることは楽なのでしょう。

それからもう一つ、自分で価値判断ができない。これは前からこのブログで書いているところですが、自分にとって何が良くて何が悪いのかを判断できないために、数字や権威といった客観的なものに頼ります。偏差値ランキングなんか典型的ですよね。たまにネットで「私の価値観は間違ってなかったんだ」というような表現を見かけるのですが、良い悪いを判断するのが価値観なのに、その価値観にすら自信がないようです。ちなみに、彼らは客観的な考えが良くて主観的な考えは悪いと考える傾向があるのですが、彼らは客観的な考えが主観的な考えに基づいていることを知りません。また、セカイ系のマンガに出てくる主人公のように傍観者的な立場で物事を捉えることを客観的だと思っているのですが、それが主観的であることに気付いていません。なぜそうなってしまうのかについては、なかなか根深く、長くなるので他の記事でも見てもらえればと思いますが、でもそういう傾向がランキングと関係していると思います。

さいごに

ランキングは便利なのですべてがダメだと言うつもりはありませんが、しかしなんでもかんでもランキングにしてしまう態度はあまり良くないと感じます。また、ランキングがこれほどまでにありがたいものとして機能している背景に何があるのかも気になるところですね。