ゲームにおける自由度の高さとは何か―モンハンを例に―



モンスターハンターワールドが発売されました。オープンワールドが採用されたということで、自由度の高い狩りができると話題になっています。「自由度の高い狩り」はわかるのですが、たまに変な「自由度」を主張する人がいるので、モンハンを例にゲームにおける自由度について考えてみます。

(モンハンはゲームか?という議論もあるでしょうが、とりあえずそれは置いておきます)

自由度と自由は違う

結論から言うと、自由度には目的があって、自由には目的がありません。そして「自由度が高い」とは、目的達成の手段が数多くあるという意味です。

モンスターハンターの目的

そもそも、モンハンとはどのようなゲームなのでしょうか。公式サイトには「雄大な自然の中で巨大なモンスターに立ち向かうハンティングアクションゲーム」と説明がありました。簡単に言えば、モンスターと戦うゲームであり、モンハン的に言えば、モンスターを狩猟するゲームといったところでしょう。

モンハンの目的はモンスターを狩猟することです。

モンハンにおける自由度

それでは、モンハンにおける自由度の高さとは何を意味するのでしょうか。それは、モンスターを狩猟するという目的を達成するための選択肢が豊富にあるということです。

真正面からモンスターを剣で切りつける、離れたところからボウガンを撃つ、1人ではなく4人で攻撃をしかける、モンスターを罠にはめて攻める、討伐するのではなく捕獲する、というようなモンスターを狩る方法が数多くあり、プレイヤー自らそれを選択できること、これが自由度の高さです。

自由なモンハンとは?

たまに、「モンハンは狩りをしたり、武器を強くしたり、コレクションしたり、できることがいっぱいあるから自由だ」、という意見を見かけることがあります。これはまったくその通りで、目的が定まっておらず、ゲーム内において何をしてもいいというのが自由です(本当は狩るための武器強化であり、武器強化は目的ではなく手段なのですが。しかし、売る方もそれを目的であるかのようにPRしていますね)。

目的がなく、何をしてもいいのであれば、それはゲームである必要はありません。自由なゲームは矛盾しているのです。

究極の自由は現実

本来ゲームには目的があります。そのため、ゲームは自由に遊べることではなく、自由度の高さを目指さなくてはなりません。ゲームは自由に遊べることが良いという風潮があるのですが、自由に遊びたいならゲームの中ではなく現実で遊ぶべきです。現実には制限がないからです。現実は制限ばかりだと思うのならば、それは自由をはき違えています(ある意味ではそれも事実ですが)。

自由度の高いゲームは万人受けしない

自由度の高いゲームは、なかなか売れません。なぜなら、表面的には単純である一方、尋常ではない複雑性があるからです。例えば、モンハンであれば、目的はモンスターを狩るという極めて単純なものです。しかし、的確にモンスターを狩るならば、武器の特性やモンスターの行動パターン、モンスターの肉質などを把握する必要があります。

複雑性を理解するためには勉強や練習をしなければなりません。スマホゲームのような単純なだけのゲームが流行する中で、自由度の高いゲームは受けないわけです(どうぶつタワーバトルは革命的)。

そもそも、ゲームは考える遊びです。一般的には、ゲームはだれでも楽しめるものという風潮があります。しかし、深く考えることに喜びを感じる人はそれほど多いわけではありません。つまり、ゲームは人を選ぶのです。

現に、モンハンシリーズは、新しくなるごとに自由度の高さが上がっているのですが、同時に「武器の数が多くてよく分からない、疲れる」というような意見も出ていました。自由度が高いというのはそういうことです。

残念ながら、私はまだMHWをプレイできていないのですが、プレイ動画を見た限りでは、自由度の高さではシリーズ最高であると思います。ただ、同時に自由なゲームでもあるように思います。キャラメイクがやたらと注目されたのはいい例ではないでしょうか。私としては、MHWは(というかここ最近のモンハンは)自由を強調することで、自由度の高さを維持しながらも相対化させているように思います。この調整が上手くいっているからこそ売れてるんじゃないかな、という気がしています。

さいごに

モンハンはモンスターを狩るだけの作業ゲーであるとする意見は多いです。そういう人は、モンスターを狩ることだけを考えるのではなく、モンスターの狩り方について「工夫」してみると、多少は違った楽しみが得られるかもしれません。なぜなら、ゲームは考える遊びだからです。

(モンハンはテーブルRPGに似ている、と言ったら怒られるでしょうか?私はその意味で、モンハンはゲームであると考えています)