「真面目」な人の特徴


真面目とは?

真面目をネット辞書で調べてみると以下のように説明されていました。

1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「真面目な顔」「真面目に話をする」

2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「真面目な人柄」「真面目に暮らす」

(引用:真面目(まじめ)の意味 - goo国語辞書

私が言うところの真面目は一般的な意味とはやや異なっているので、括弧を付けて「真面目」としたいと思います。「真面目」の意味は、他人の言うことを吟味することなく受け入れてしまうこと、といったところです。

「真面目」な人の特徴

真面目と「真面目」は表面的にはほとんど変わりません。たとえば、学校を休まず毎日出席し、自宅では予習復習をし、塾にも通っているとなると、表面的には非常に真面目です。しかし、もしかすると、学校に行くのが規則だから、予習復習をすることが一般的に良いことだと認識されているから、親から塾に行きなさいと言われたから、というだけのことかもしれません。

もちろん、将来のためにイヤイヤながらそうしている人もいるでしょう。しかし、「真面目」な人は、言われたことを吟味することがないので、イヤとは思いません。また、自分の意思でやっているわけではないので、進んでやるわけでもありません。ただやるのです。言われたことをやるということに疑問を抱かないので、それが普通であると思っています。

「真面目」な人は、子供の頃は、親や教師の言うことを守るので「いい子」という評価を受ける傾向があります。しかし、自分の意思でやろうとしているわけではないので、突き抜けて高い評価を得るということはありません。そのため、数値化される物事に関しては普通であることが多いです。

真面目と「真面目」の違いは「若者」と呼ばれる時期、特に就職活動で顕著になります。というのは、学生生活においては基本的に課題が与えられるため、それを受動的にこなすだけでいいのですが、就職活動においては明確な正解がないため、自分の答えが求められるからです。真面目な人は自分の意思に基づいて選択を行うことができるのですが、「真面目」な人は自分で選択ができません。そのため、就職活動においては、上場企業や就職偏差値、年収といった客観的指標に頼る傾向があります。

さらに、「真面目」の特徴は、何かしらの失敗を経験した際に一層顕著となります。「言われたことをコツコツとやってきただけなのに」「遊んでた奴が成功して、なんで自分が失敗するのか」といったことを言います。ここからわかるのは、自分には責任がない、という理解があることです。この理解はある意味では間違っていません。指示を出す側にも責任はあるからです。しかし、行動した側にも責任はあります。なぜなら、指示を拒否するという選択もできるからです。「真面目」な人には指示を拒否するという選択肢が欠落しています。「真面目」な人にとって、他者からの指示は現実そのものなのです。

長くなってしまいましたが、「真面目」な人の特徴を箇条書きにすると以下のようになるでしょう。

  • 従順で主体性がない
  • 客観的指標に頼る(物事の吟味ができない)
  • 自己責任という概念の欠如
  • 現実と価値観の混同

「真面目」をやめる方法

「真面目」をやめる方法を1つ紹介します。それは、本当を正しいに先行させることです。言い換えれば、グレることです。

たとえば、友達数人と一緒に食事をするとします。みんなはラーメンが食べたいと言っています。数の多さという意味ではラーメンが正しいでしょう。しかし、本当のところ、私はパスタがいい気がする。ここでラーメンという正しさではなく、パスタという本当を選択すること。

もちろん、パスタという自由を選択することには、同時に責任も伴います。「みんなラーメンって言ってるんだからラーメンでいいじゃん」と言われるかもしれません。あるいは、パスタを食べることになったとしても、近くにパスタのお店がないかもしれません。はたまた、お店があっても行列ができているかもしれません。これを引き受けるのです。最初は小さな本当から始めて、徐々に大きな本当を実行するようにするのが良いでしょう。

「真面目」の問題点

すこし話が前後するようですが、「真面目」の問題点をあげておきます。

以上のように、選択をする以上、何が起こるのかわかりません。しかし、選択をしている人はみんなそうなのです。わからないながらも、みんな手探りで進んでいるのです。

「真面目」な人は、失敗をすると、「言われたことをしてきただけなのに」「遊んでいる奴がどうして成功するの?」と言います。しかし、それは違います。生きる以上、選択をしなければならず、また選択には責任が必ずともないます。ゆえに、言われたことをすることもまた選択であり、責任が生まれます(繰り返しになりますが、言われたことを拒否するという選択もできるからです。この拒否という選択肢が出てこないのが難しいところなのですが)。遊ぶことにも当然ながら責任がともなうのであり、それを選択している人のほうが立派です。

「真面目」は必ずしも悪いものではないのかもしれません。「真面目」であることに誇りをもって生きることもできるのかもしれません。しかし、おそらく、「真面目」は、漠然とした不安をもたらすであろうと思われます。他人の人生を送るだけでいいのでしょうか?