教会に初めて行ってきたレポートと今後どうするかについて


教会に初めて行ったときの感想は、以前、別のブログに書いたのですが、そのブログを閉鎖することにしたので、このブログでも書いておこうと思いました。

どの教会にするか

やはり信仰があれば教会にも行きたいと思うものです。日本ではキリスト教はマイナーということもあると思うのですが、キリスト教をあまり知らない人は近くの教会に行けばいいじゃないと感じるようです。しかし、仏教にいろいろな宗派があるように、キリスト教においても教派の違いがあり、教会によって考え方が異なります。そのため、初めて教会に行きたいと感じた私にとって、どの教会に行くのかは割と大きな問題でした。

私は以前から西洋哲学や西洋美術、宗教学といったところに興味があったので、信仰を得る前から聖書は読んでいましたし、聖書の有名どころくらいは知っていました。しかし、神学をやっていたわけではないので、教会の文化など、理論ではなく実際に関してはまったく知りませんでした。そこでまずはキリスト教史を概観することにします。というのは、教会がどのように分かれていったのかを知れば、教会の考え方を理解しやすいだろうと考えたためです。

その際にいろいろな本を読んだのですが、個人的にわかりやすかったのが、山我哲雄『キリスト教入門』(岩波ジュニア新書)と藤代泰三『キリスト教史』 (講談社学術文庫)でした。教会の詳細な違いまでは書かれていません。しかし、ざっと理解するには便利だと思います。また、代表的な教派の教会のホームページには教会の歴史や特徴などをまとめているところがあるので、そういったものも参考にしました。

そんなこんなで教会の違いを、大雑把にですが勉強し、私には会衆派が合っていそうだと感じました。いろいろな理由はあるのですが、正直なところ感覚的なものです。ちなみに現在ではいくつかの教派が集まって、日本基督教団になっています。しかし、日本基督教団になる以前の教派の伝統はまだ残っているようです。キリスト教を知らない人からすれば会衆派と言われてもわけがわからないでしょう。わかりやすさのためにあえて権威を借りるならば、京都の同志社大学やアメリカの名門ハーバード大学はキリスト教系の大学ですけども、会衆派の伝統を持っています。

そして、ネットで、「会衆派 京都」で検索し、ヒットした教会に行くことにしました。ここまで長くなってしまったのですが、教派なんかどこでもいいからとにかく教会に行きたいという人であれば、「教会 ○○(地元)」で検索し、ヒットしたところに行けばいいと思います(怪しいところには気をつけてくださいね)。

いよいよ受付

基本的に教会では毎週日曜日に日曜礼拝を行っています。そのため、初めて教会に行く場合は日曜日に行くのがよいでしょう。私も日曜日に行きました。

礼拝が始まる30分前には教会に到着したのですが、誰もいません。教会に入っていく人についていけばいいだろう的なことを考えていたため、ちょっと焦りました。また、私が行った教会は割と大きいので、どこから入っていいのかもわかりませんでした。教会の周囲をうろうろしたので、怪しい人みたいになっていたかもしれません。

何とか受付に行くと、50代くらいのおじさんが出てきて「お名前を教えてください」と言われましたので、「あの~、初めてなのですが…」と答えると、「ああ、そうですか。ではこちらに名前と住所を書いてください」と言われ、紙に名前と住所を書きました。ちなみに、名前と住所の記入は強制ではありませんので書かないことも可能です。後で書きますが、名前を書くと礼拝後にみんなの前で紹介と拍手があり、住所を書くと教会によって違いはあるかもしれませんが簡単な案内状が届きます。

そして、記入後は、聖書や歌詞が書かれた紙が渡され、礼拝堂に案内してくださいました。教会によっては聖書を貸し出してくれるところもあるようです。

めちゃくちゃ緊張しながらの礼拝

礼拝の内容はあまり書かないほうがいいですかね?簡単に言うと、パイプオルガンの演奏や聖歌隊による合唱、聖書、説教などがあります。パイプオルガンと聖歌隊の合唱は本当に感動しました。

あとたまたま月に一度の聖餐式に重なりました。これは本来、洗礼を受けていないといけないそうなのですが、この教会では洗礼を受けていない人でもOKということだったので、いただきました。これは事前に聞いておいた方がいいと思います。

礼拝中は立ったり座ったりといった動作があるのですが、周囲に合わしていれば特に問題はありません。

私の場合、教会の方がわざわざ付きっ切りで礼拝の仕方を教えてくださいました。本当にありがたかったです。

そして礼拝が終わりに近づくと献金のかごが回ってくるので、ここにお金を入れます。入れなくても問題ありません。あまりこういうことを言うのはよくないのかもしれませんが、教会の人の多くは1000円札を入れているようです。私も1000円札を入れました。

トラブル発生…

あまりに緊張しすぎたためか、献金が終わって、もう礼拝が終わるという頃に、なんと失神しました。目が覚めたときには皆さん大慌てで、お医者さんだったのかわかりませんが、すぐに手当をしてくださいました。

もともと体が弱いこともあり、失神はたまにあるんですけども、まさか初めての教会で気を失うとは思ってもみなかったので、驚きと同時に申し訳なさでいっぱいです。あのとき対応してくださった皆さん、本当にありがとうございました。私は元気です。こんなことを言ったら失礼かもしれませんけども、ある意味では教会を知る良い機会だったと思います。

献金のあとには、教会を初めて訪れた人の名前が紹介され、教会の人全員が拍手をしてくれます。先ほども書きましたが、目立つのがイヤ、という人は受け付け時に名前を書かないか、事前に紹介を遠慮しておくといいかもしれません。教会によって違うかもしれませんが、名前を呼ばれたら立って、軽くお辞儀をしたりします。

私は完全にダウンしていたので、横になりながら紹介していただきました。すみません…。

お昼ご飯

礼拝が終わったあと、お昼ご飯に誘ってくださいました。最初はトラブルを起こしておいてご飯まで頂くのは申し訳ないと思ったのですが、ぜひということでしたので、いただくことにしました。これも教会によって違うと思いますが、たいていはお弁当だと思います。

教会の方と一緒に食事をします。私はあまり教会の文化を知らないので、ここで色々と質問したりしていました。話が前後してしまうのですが、普通、教会はどこに行くべきなのかと聞くと、たいていの人は自宅から一番近いところに行くのだそうです。しかし、私は京都に住んでいるのですが、都市部では遠方から来る人も少なくないということでした。なるほど。

初めての教会まとめ

初めての教会は以上のような感じでした。初めて教会に行くとなると緊張すると思うんですが、そんな難しいことがあるわけではありませんし、教会の方も丁寧に教えてくれるでしょうから、心配する必要はありません。まあ、私が言えたものではないんですけど。

また、後日、牧師さんからわざわざ手書きでお手紙をいただきました。最近手紙をもらうということはないので、こういうのはありがたいですね。もし万が一、家族に教会に行ったことを知られたくない場合は、事前に案内は結構ですと伝えておくと良いかもしれません。

今後について

以上のように教会には非常にお世話になったのですが、実は初めての教会を含め2回しか行けていません。なぜこうなってしまったのか?

実は私は重度の内向型です。最近よく話題になっているようですけども、HSPやスキゾイドパーソナリティの傾向があります。精神科で診断を受けているわけではないのですが、チェックリストではほぼ全部に当てはまるレベルです。以前は会社に勤めていたのですが人間関係の悪化で辞めて今は自営業ですし、何かと人間関係には問題が生じやすいようです。

別に教会で人間関係が悪化したということはありません。しかし、これはスキゾイドの性質かわかりませんが、深く付き合うとなると抵抗が出てくるのです。

正式にキリスト教徒になるためには教会で洗礼という儀式を受けなければなりません。洗礼を受けるということは教会員になることも意味します。教会の人たちと深くかかわっていくことになります。ここに抵抗があるのです。

教会の人たちは本当に親切です。私が失神したときの対応はそれを端的に示しているでしょう。ただ、世の中には偏屈な人間もいるもので、優しさといったものに傷つくこともあるんです。

キリスト教は端的に言って人間関係の宗教です。しかし、その人間関係に入っていくことができないというギャップに私はどうすればいいのかよくわかりません。内向型の人たちは教会でどう過ごしているのでしょうか?非常に気になるところです。

個人的に1つ思っているのが、無教会主義という選択です。内村鑑三の思想ですね。たいへん恥ずかしいことなのですが、私は内村鑑三の著作を一切読んだことがありません。ウィキペディア程度の知識しかありません。しかし、無教会主義は私に合っているところがあるように思います。ただ、過去に東京大学総長が出ていたりもするのですが、やはり批判も多いです。私自身、無教会主義に対してどうなのかなぁと思うところもないではありません。

あるいは、本当に洗礼は必要なのか、つまり会衆派の教会に通いつつも、洗礼は受けない、教会員にはならない、求道者としてやっていくのもありかもしれません。

私は神学がよくわからないのですが、神学はこういう私のような人間に対して何かしらの答えを出しているのでしょうか?わからないことだらけなのですが、自分で考えていても限界があるので、できるかぎり神学書に当たり、自分なりの信仰の在り方を模索してく必要があるだろうと考えています。とりあえず、これが今の私の課題です。

教会とは何か?みたいなことを考え出すとキリがないですね…。