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極端に高い健康への意識には違和感がある



健康について考えることは別にそれほど何とも思わないのですが、極端に健康を意識するのは、ちょっと違和感がありますね。「健康教」みたいな、健康を信仰するかのような態度をキモいと感じる人は多いようで、その感覚も分からないでもないのですが、そういうのではなくてですね、自分の身体への不信感を、私はそれから感じるわけです。

健康になろう、というのは、ある意味では自分の身体の支配だと思うんですね。サプリを飲めば健康になれる、毎日運動をすれば健康になれる、というように、こうすればこうなる、というのが、その背景にはあります。だから、自分の身体を客観視して、その体を自分の思うようにしてやろうということでしょう。別に医学を批判しているわけではありませんが、自分の心臓の動かし方すらわからないのに、そういう態度というのは傲慢に見えるし、自分の身体は放っておけば悪い方向に行くという考えがあると思うんですね。

体と精神は、ある意味では一致します。厳密に線を引くことはできません。ただ、こうすれば健康になれる、というように、自分の身体を客観視すれば、それは体と精神を分断させることになると思います。自分を客観視するのは大切なことではありますが、それとこれとはまた話が違います。

自分の身体に対して出来ることというとは、せいぜい、自分の身体の様子を観察するくらいだと思うんですよ。よく言われることとしては、体の声を聞く、という表現がありますが、そういう感じです(スピリチュアリティはあまり好きではないんですけどね。ちなみに「スピリチュアル」は形容詞ですよ)。

あと個人的に前から思っていたんですが、対処療法というのはあまり良くないと思います(もちろん対処療法そのものは大切です。なんでもかんでも対処療法で治せるという発想はどうなのか、ということです)。病気は体の表現です。表面的な症状を治療したところで、その症状が発生している原因を取り除かなければ、症状は再び出てきます。あれなんだったかな、こころの時代で、浅野先生の回だったかな、網目状のボールのおもちゃを使った、原因と結果のたとえが非常にわかりやすかったんですよ。画像があればいいんですが、ないんで何ともいえないんですけども、まあ、あの例えの通りなんですよ。

そして、体が抱える、その原因というのは、結局のところ、体の「ゆがみ」なんですね。「ゆがみ」というのは別に姿勢の問題ではなくて(それもあるでしょうけども)、体の循環というか、バランスというか、そういうのです。「ゆがみ」が生まれるのは日常的なものが多いんです(先天的なものもあるでしょうけども)。健康を極端に意識する人は、だからこそ健康のための行動をしなければならないと考えると思うんですが、これは体自らがやることであって、自分(精神)で何とかなるものではないんですよ。だから、体の調子を確認してやる程度で十分だと思うんです。

それでも何かが起こったのなら、それはそのときです。受け入れるしかありません。それが現実ってもんです。「なんで私がこんな目に」というのはよくあるんですが、その気持ちも痛いほど分かるんですけども、でもそれは現実を見れていないと思います。人間は現実の中でしか生きれないのですから、仕方がありません。どうせなら仲良くしてやるくらいの気持ちを持つくらいがちょうどよいのだろうと思います。

でもまあ、色々と言いたいことはあるのですが、健康をやたらと意識している人には、もうちょっと自分の身体を信用してやってもいいんじゃないですか?と言いたいです。