科学と宗教の関係をどう考えるか


科学と宗教は相容れない?

一般的に科学と宗教は矛盾すると考えられています。そのため、それに従うならば、科学的な立場に立つならば、宗教を信仰することはあり得ないとなるわけです。しかし実際には、科学の立場に立ちながら宗教を信仰したり、宗教を信仰しながら科学も利用するといったことが普通に行われています。ではこの場合、科学と宗教の関係はどのようになっているのでしょうか。

科学と宗教の対立? - nancoluにも書いたように、一言で「科学」「宗教」と言ってもその中身は極めて多様で、矛盾するものもあれば矛盾しないものもあります。たとえば生物進化論は聖書の創造論と矛盾しますが、人間原理説は聖書と矛盾しません。個別に語ることはできないので、ここではざっくりと科学と宗教について考えます。

そもそも扱う領域が違う

結論から言ってしまえば、科学と宗教はそもそも領域が異なるため、トレードオフの関係にはなりません。

科学が担うのは、宇宙で起きる出来事のメカニズムの説明です。物が高いところから低いところに落ちるのは重力があるからだ、というようにです。

一方、宗教は、出来事と自分との関係の説明を担います。たとえば、道を歩いていると、上から植木鉢が落ちてきて、直撃してしまったとします。このとき科学は、植木鉢が落ちたのは重力があるからだと説明できるでしょう。しかし、なぜその植木鉢が自分に落ちてきたのかについては、科学は説明することができません。宗教こそがそこに解答を与えることができるのです(たとえば罰が当たったとか)。

このようなわけで、科学と宗教の両方の立場を取ることは可能です。

科学と経典

上の説明で十分だとは思いますが、中には、科学と経典に書かれている内容は矛盾すると考える人もいるでしょう。それこそ、生物進化論と聖書の創造論が矛盾するようにです。聖書に限らず、宗教が持つ経典は、多かれ少なかれ科学と矛盾するところがあります。では矛盾していれば、経典は虚構であり役に立たないものとなるのでしょうか。

これについて結論から言うと、宗教は経典ではなく概念であると答えることができるでしょう。少々語弊のある表現かもしれませんが、経典それ自体はそれほど重要ではありません。経典が伝えようとしている内容、概念が重要だからです。

たとえばウルトラマンを考えてみましょう。ウルトラマンは人間が変身(変態)をするわけですけども、細胞分裂をしているのならば相当な時間が必要ですし、3分以内に成し遂げるのは不可能です。また、ウルトラマンは頑張って人類を守ろうと戦っているわけですが、あの巨体であればウルトラマンが歩くだけで超巨大地震が発生します。地球が壊れてしまいますね。このように、ウルトラマンは科学的にはかなり無理があるのです。しかし、ウルトラマンに対して科学がどうのこうのというのは筋違いというものでしょう。ウルトラマンは悪と戦う正義であり、人類を守る様を伝えようとしているのであって、科学的な知識はどうでもよいことです。

経典もそういうところがあって、経典が伝えようとしていることを読み取らなければなりません。科学的に経典を評価しようとすれば、重要なことを理解することはできないのです。一般的に「宗教は経典であり、経典は一字一句正しくなければ価値はない」と考えられています。しかし、一字一句間違いはないという理解は「原理主義」(この用語の使用には気をつけないといけないのですけども)と呼ばれるもので、宗教者の中でも好意的に評価されることはほとんどないです。「まともな」宗教は、経典によって信者を束縛することはありません。むしろ信者が生きる文脈の中で、経典を解釈することを求めるのです。

ここであえて「まともではない」宗教についても書いておきましょう。それは吟味しない宗教です。彼らは「経典に書いてあるからよくない」と主張することはできますが、それがなぜ経典に書いてあるのかを説明することができません。つまり、経典が伝えようとしている内容を、自分なりに理解することができないのです。経典に書かれている内容すべてを文字通りに実践することは普通できません。よって、選択的な読み方になります。つまり、自分にとって都合の悪い箇所は無視し、都合のいい箇所だけを取り上げ、場合によってはそれを根拠に他者を非難します。これは自己絶対化に陥るでしょう。

まとめ

繰り返しになりますが、科学と宗教はそもそも領域の異なるものであり、どちらかをとればもう一方を退けなければならないというものではありません。両者は両立可能です。