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カップ麺のいいところ



私が思う、カップ麺のいいところについて書いてみたいと思います(というのも、私の友達(ではない、かなw)が「カップ麺を食事とは認めない、あんなのは食べられない」と言っていたからです)。

結論からいうと、カップ麺の良さは、手っ取り早く「食べた感」が得られることです。お湯を注いで3分待てば、すぐにでも食べることができます。「即席めん」と表現するくらいですから、これは大きな特徴です。忙しい日々を送っていると、時には、飯を食ってる暇すら惜しいこともあるわけですが、そのような場合にはカップ麺は非常に便利です。

正直なところ、カップ麺が好きな人には申し訳ないのですが、私もカップ麺は食事であるとは思いません。せいぜい「エサ」、よく言えば「栄養補給」といったくらいのものなのでしょう。しかし、栄養補給という意味であれば、別にカップ麺ではなくポテチとかでもいいはずです。なぜカップ麺なのかと言えば、それが「食べた感」です。

ポテチというのは基本的には、おやつ、間食であり、ふつうはポテチを食事として食べることはありません。たとえお腹いっぱい食べたとしても、それは感覚的には、おやつを食べたに過ぎないわけです。それに対して、カップ麺は一応はラーメン(ラーメン以外のカップ麺は私はあまり食べません)です。ラーメンをおやつとして食べることは基本的にはなく、食事として食べることが多いですから、「食べた感」があるわけです(とはいえ、さっきも書いたように、私はカップ麺を食事とは思いません。ただ、ラーメンに近いので疑似的に「食べた感」が生まれるのだと思います)。さらに言うならば、お湯を注ぐという行為が、調理っぽさを醸し出してくれているのでしょう。

もしかすると、それは観念的なものに過ぎないという反論があるかもしれません。しかし、私にしてみれば、それは反論にはなっていません。というのも、観念的なものでいいからです。忙しい、でも食べたい。食べるだけでいいなら極論ポテチでもいいけども、ポテチだと「食べた」という気が起こらない。かといってまともな食事をする時間はない。どうしようか?という状況において重要なのは、「食べた」という感覚です。そのため、この状況においては、感覚が得られればそれでいいのです(人間はそもそも非合理です。頭に生えている髪と抜けた髪は本質的には同じでも、抜けた髪は汚く思えるものです)。

それに、私は毎日カップ麺を食べているわけではありません。忙しいときに、手っ取り早く「食べた感」を得たいときに食べます(このブログで書いているカップ麺のレビューのものは貰い物です。私は基本的にはカップヌードルしか買わないので。まあ、貰い物に対してああいう記事を書くのは失礼な気もしますが…)。ごはんが食べられないほどに忙しいときというのは、そんなにあるわけではないため、そもそもが例外的な状況です(そういう意味では「カップ麺なんか食べられない」というのもわからないでもないんですけど)。

あまりまとまってないですが、忙しいときに「食べた感」を得るには、カップ麺は極めて合理的な食べ物だろう、ということを私は言いたいわけです。ちなみに、私が自分で買うカップ麺は、基本的にはカップヌードルです。余計な小袋がなく、お湯を入れるだけでいいので、最も理想的であると思っています。

(最後に余計なことを書いておこうと思います。私はカップ麺をうまいとは思いません。そもそもうまいカップ麺などありえないし、カップ麺をうまくする必要性もないと思っています。そのため、最もおいしいカップ麺はなにかとか、カップ麺をよりおいしく食べる方法とか、そういうのには興味がないです。カップ麺という限られた条件でどこまでのものが作れるのか、という挑戦とかならわからなくもないのですが、でもカップ麺である必要はないでしょうし、またそれは消費者側がどうこうするものではないでしょう)