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大学院入試の研究計画書が書けない



大学院入試の研究計画書なかなか難しいな - nancolu

この記事書いてから10日になるようです、早いなぁ。この間ずっと研究計画書について考えているのですが、自信がないです。考え出せばキリがありません。ここおかしいんじゃないの?ここがおかしいならこっちもおかしいよね?みたいにダメなところが目に付いて仕方がないです。研究計画書はそもそも書くのが不可能なものなんじゃないかとか思えてきてしまうほどです。まあ、そんなこと言っていても、書いて提出しないとダメなんですけど。

とりあえず書いてみた研究計画書の問題点を整理すると、大きく2つ挙げられるかなぁと感じました。

1つ目は用語の問題です。具体的なことは書きませんが、研究対象となる用語の使用にかなり批判が多いです。もともとはメディアが変な使い方をして、それが一般に浸透したんですが、アカデミックな研究に使えると主張する人と使えないと主張する人で意見が思いっきり分かれています。どちらかといえば使えない派の方が多いかな?使えると主張する人でも、どの場合に使用が認められるかについては幅があって、ややこしいことになっています。定義もかなり曖昧です。共通の認識が得られていないのに、これを研究できるのか。その辺も含めて研究の背景として書いたほうがいいのだろうと思います。

どの大学院を受験するかはまだ決めてないのですが、研究計画書の文字数はだいたい1000文字前後になると思いますし、そのつもりで書いているんですけども、用語の説明だけでも軽く1000文字超えてしまいます。当然ながらかなり端折ってるんですが、面接でここは絶対突っ込まれますね。ていうか、面接以前に、研究室訪問がアレですよね。これからやる予定なのですが、もし相手が使えない派なら嫌われるだろうなぁ…。もちろん事前に調べておきますけど、腰が重いです。まあ、嫌われたら嫌われたでいいんですけども。

2つ目はそもそも研究の価値があるのかについてです。修士なんでね、しかも入試の段階なのですからそんな大したものは最初から期待されていないと思いますが、でも気になるものは気になります。研究なのですから新規性がないと価値がないわけですけども、でも誰でもやっていないからこそ研究に価値があるのかどうかを判断するのが難しいところがあります。こんな研究やって意味あるんかな?と研究計画書を書きながらいつも感じてしまいます。なんかなぁ、幼稚に思えてくるんですよね、なんなんだこの研究は…みたいな。学部生なら先生にいつでも「この研究どうっすかね?」と聞けますが、今はもう卒業しちゃってますし、聞けないというのは本当に不安になります。

ああ、困った。気になって仕方がない。研究計画書としてダメでも、参考文献を多めに出しておいて「勉強はしてますよ」とアピールしておこうか。「勉強してんなら入学後に指導すれば多少はマシになるかもね」程度に思わせればしめたもんかな。

でも研究計画書について考えてたら研究向いてないんじゃないかとか思ってしまいますよね。別に知的好奇心満たしたいだけなら勉強でもいいじゃんと思います。母校の大学図書館には200万冊か300万冊か正確な数字は忘れましたけどもそれくらいありますし、まあなんだったら国立国会図書館使ってもいいんですけど、これは一生かけても読むことは無理です。図書館は無料で使わせてもらえますから、勉強としてはこれほどいい環境はないじゃんと思うわけです。院行く必要ある??

しかし、上智大学学長の石澤良昭先生がものすごく良いことを言ってくれています。

ただ前の時代の人が作った理論や技術に乗って行くのではなく、自分自身が抱いた問題意識をとことん追求していく。そこに、独自の発見があるんです。

(引用:関塾タイムス 私の勉学時代

そうですよねぇ、今までそんな経験したことはないんですけども、そういう独自の発見があったら面白いだろうなと感じます。やってみたいなぁと思ったり、思わなかったり、思ったり。