「会社のために!」が社会を潰す


日々の仕事において、会社に貢献することを目指して頑張っている人もいるのではないでしょうか。もしかすると、その行為、社会を潰すかもしれません…。

社員の自己犠牲が会社の自己中心主義を促進させる

そんなに難しい話ではありません。極めて単純なことです。社員一人ひとりが自分の時間を犠牲にして、懸命に仕事に取り組み、会社の利益に貢献したとします。しかし、その会社自体が、自社の利益しか考えていないのであれば、社員は会社の自己中心主義に加担したことになります。会社が多くの資源を持つということは、どこかからその資源を持ってきたわけであり、誰かは資源を取られてるわけです。

これは現在のエネルギー問題において端的に表れています。たとえば原発であれば、特定の地域の犠牲があるからこそ、莫大なエネルギーを生み出すことができています。つまり、エネルギーを作り、莫大な利益を得ているその背景には、犠牲があるわけです。その原発関連の会社で、「会社のために頑張るぞ!」とやっていたら、それは確かに自己犠牲であり、社内では評価される行為であるものの、同時に犠牲に対して無責任になってしまいます。

また、ここでは社員の自己犠牲が評価されているわけですが、これもあまりいいものではありません。これについてはニュースでよく取り上げられている過労問題を考えれば明らかでしょう。

宗教と国家

上のような現象は、必ずしも同一視できるものではないのですが、宗教と国家の関係に似ているように思われます。

たとえば戦時下の日本では、戦争に戦って死ぬこと、つまり自己犠牲がよいものとされていました。というのは、戦争で死ぬことは天皇のために死ぬことであり、英霊となるからです。さらに、戦争に参加している以上、相手にも犠牲が生じているわけですが、これに対する視点が欠如しており(自己中心主義)、無責任であるといえます。

会社においても、社員の自己犠牲は評価され、また会社が自己中心主義であれば、他者への犠牲に対して無責任になってしまいます。社員の自己犠牲の評価の根拠は、おそらく、いわゆるレールでしょう。よい大学、よい会社に行くのがよい人生だという価値観によって、会社での活躍がよいものだという認識が出てくるのだろう思われます。会社はただのギルドに過ぎないのですが、ここまで力を持つからには何かあるはずです。私に言わせれば、これは宗教以外の何物でもないのですが(いい宗教と悪い宗教の違い)。宗教でないにしても基本的な構造は似ているように感じます。

まとめ

勝てればそれでよいのでしょうか。それによって犠牲が生まれてもなかったことにするのでしょうか。少し話がそれますけど、100円のものを1000円で売るとか、そういったノウハウがちまたに溢れている社会には違和感を覚えます。奪うだけなのはよくないと思います。