科学と宗教の対立?


一般的に科学と宗教は対立すると考えられています。しかし、どうやらそうでもなさそうです。

科学と宗教の境界線が曖昧に

アニメやマンガ、ゲームでの表現がよい例になるでしょう。死んだ人の記憶が実はデータとして保存されていて、それがAIとして再構成されるというような表現は割とよく見られます。これはAIという最先端技術を用いているため、表面的には科学的であるように思えます。しかし、本質的なところでは、死者の復活以外の何ものでもありません。復活という概念は極めて宗教的で、特に聖書にはよく出てくるものです。このように、表面的には科学的だけどやっていることは宗教的、というような表現はけっして珍しいものではありません。私たちの大部分はこのような表現を当たり前に受け入れています。このことから科学と宗教の境界線が曖昧になっていることがわかるでしょう。

行為の本質は今も昔も変わらない

現代では病気になったりケガをしたりすれば病院に行って医者から治療を受けるのが当たり前となっています。現代のように医療が十分に発達していなかった時代では、その役割を宗教が担うことがありました。つまり、呪術などを用いて(呪術を宗教といっていいのかについては議論がありますが、ここでは触れないことにします)対処していたわけです。今からすれば呪術なんてものはくだらないものに思えるかもしれません。しかし当時の人々は呪術師のところに行けば、具体的なことはよくわからないけども、とにかく病気が治るを信じていたのです。この構造は現代でも変わりません。私たちは病院に行けば病気が治ると信じています。病院において医者がどういう施術をしているのか、その具体的なところはわからないけど、とにかく病院に行けば何かはしてくれる、きっとよくなると信じているわけです。たしかに現代の医療は緻密な研究の成果であり、効果が認められるものではあります。しかし治療を受ける側からすれば、○○に行けば治る、という思考自体に違いはありません。

科学とは?宗教とは?

このように考えると、科学とは何か、宗教とは何か、という問いにぶつかります。これに答えるのは容易ではありません。複雑だからです。科学と一言で言っても、この場合は自然科学のことでしょうが、物理学、化学、生物学などなどさまざまなものがありますし、物理学だけでも量子力学や相対性理論などさらに細分化することができます。そしてそれらは研究対象も方法論も異なっています。宗教も同様に、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、仏教、神道などなど多様です。キリスト教ひとつとっても、カトリック教会、正教会、聖公会、ルター派教会、会衆派教会などたくさんあります。それぞれの宗教、宗派(教派)によって言っていることは違います。このように、科学や宗教は極めて多様であるのですが、たいてい「科学」「宗教」と一括りにされてしまい、その実像を把握するのは困難です。

科学と宗教の対立の正体

たしかに科学と宗教が対立することはあります。典型的な例では、生物進化論と聖書に見られる創造論は矛盾します。しかし、分野によっては矛盾するどころか相性のよい場合もあります。科学と宗教の関係は複雑なのです。

「科学と宗教の対立の正体」と言ってしまえば大袈裟ではあるのですが、1つの答えとして、物事の単純化への傾向を指摘することができるのではないでしょうか。複雑性に耐えられない、だからこそ科学は優れたもので宗教は劣ったものという単純明快な構造は魅力的に映るのです。

しかし、科学と宗教の対立という単純明快なモデルに基づいた認識は、しばしば対立や不利益をもたらします。問題の所在は科学と宗教の対立にではなく、科学と宗教に対する適切な認識の欠如にあるのではないでしょうか。