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自立するということ


自立することがどういうことなのかについて簡単に考えてみます。たしかに自立するのは難しいけど、そんなに厳しいものではないということを伝えられたらいいなと思います。

一般的な自立のイメージ

おそらくは他人の助けを借りずに一人で何でもやっていけるようなものであろうと思われます。子供であれば、自分で歯を磨けるとか明日の学校の準備ができるとか、そういう感じになるでしょう。また、大学生や社会人くらいになってくると、自分でお金を稼いて、自分のお金で生活できるようになること、といった感じになるかと思います。

しかし、本当に一人で何でもやっていける人間なんているのでしょうか。いや、いないとは言いません。ですが、そのようなイメージから受ける印象としては、「自立」というよりかは「独立」あるいは「孤立」といったものに近いでしょう。

そもそも人間は社会的な生き物です。小さなところでは家族があります。家族の中では普通役割分担をするものです。一人が全部をやるなんてことは一般的ではありません。シングルマザーのように、子育て、家事、仕事、全部をする人も確かにいます。ですが、そのような状態にいる人を「自立している」と表現するするのには抵抗があるように思われます。

どのような人間も他人の助けを借りて生きているのが普通なのですが、それにもかかわらず、一人で何でもすべきと考えるのは、一人で何でもできるはずだという考えの裏返しであり、それは私に言わせれば想像力の欠如ではないかと思うのです。

自立とは?

自立とは一人で何でもやっていくことではありません。自立を一言で表すならば、一般的なイメージとは逆で、助けを求められることです。他者に「助けて」と言えることです。

多くの人は困ったときに誰かに「助けて」とはなかなか言えないのではないでしょうか。たしかにこれはある程度は評価できるものです。というのは、他者の視点が自分の中にあるからです。これは利己主義ではありません。

しかし一方で、他者への信頼が欠如しています。助けを求めれば迷惑なのではないか、助けを求めても拒絶されるのではないか、といったものです。他者を信頼するためには前提として、信頼する主体としての個人が不可欠です。言い換えれば、自己形成ができていなければなりません。

さらに、自分が助けを必要としている状況にあることを自覚するにも自己形成ができている必要があります。自分のやりたいことが明確でなければ、その実現のために今何が足りていなくて、そして何が必要であるのかを知ることができないからです。自立できていない人が助けの必要であることを自覚する頃には、生命に直結するレベルにまで陥り、既に手遅れになってしまっていることが珍しくありません。これは日頃のニュースからもわかるでしょう。

個人と私人

先ほど、個人が不可欠だと書きました。しかし、この「個人」を「私人」と混同してしまう人が少なくないようです。簡単にこの違いを考えてみます。

その違いとは公を前提にするか否かです。「公」に対する領域は「私」ですが、この両者を接続する人格として個人があります。つまり、公と私の間にあるのが個人です。私人は私的領域のみの人格であって、公への意識はありません。

最近はラグビーが人気になっているので、これで考えてみましょう。ラグビーではチームを組まなければなりません。なので、メンバー一人ひとりがトライを決めてやると考え、パスを出すこともなく、突っ込んでいけば確実に負けます。これは、自分のことだけを考えているので私人としての振る舞いです。

他方、それでは全員がチームだけを考えていればいいのかというとそうでもありません。メンバー一人ひとりの特性を無視して、それぞれに役割を振り、メンバーはその役割だけを忠実にこなしていれば、どこかで破綻します。

やはり強力なチームを作り上げるためには、メンバー一人ひとりの強みや弱みを考慮した上で、全体的な在り方を考えなければなりません。メンバーが自分勝手に動く(私人)のではなく、チーム全体という公を意識したうえで、自分に何ができるのかを考えてプレイすること(個人)、これができて初めてワンチームになるのです。

さて、助けを求めるためには公に入っていく必要がありますが、ここで私人として振る舞うとある種の公私混同になります。なので、私人と個人を混同し、かつ良心的な人であれば、それを避けます。人に迷惑をかけられないからです。個人として振る舞わなければ公において個人的要求を通すことはできません。いつまでたっても助けを求めることができないのです。

まとめ

自立とは何でもかんでも自分一人でやっていくことではありません。中には実際にやりとげてしまう人もいるのですが、普通は無理です。助けがなければ生きていくことはできません。何でも自分でやらなければならないという現代に蔓延する空気感は、人々を疲弊させ、ついには手遅れになってしまうでしょう。