文系大学院へ入学したことに対する周囲からの評価


文系大学院に入学してから周囲に言われたことをまとめてみたいと思います。ちなみに私は宗教学をやっておりますので、それに関連するものが多いです。せっかくなので反論みたいなところも書いておきます。

「何を研究してるの?」

これを聞いてもらえるのは非常に嬉しいです。やはり自分の興味があることについて聞いてもらえるのは単純に気分が上がりますし、それに自分の問題意識を他の人に知ってもらうことも重要なことだと思っています。

ただ、説明するのが非常に難しいです。これは大学院生あるあるだとは思いますが、自分の専門分野について、まったくその知識を持たない人に説明するのは簡単ではありません。外国語をそのまま日本語に置き換えることはできませんけども、それと同じように、専門用語を使わずに説明しようとすると、正確に伝えられないことになります。

また、私の場合、専攻が宗教学ということもあって、宗教と聞いただけで変な顔をされることが珍しくありません。「やべぇ、聞かなければよかった」みたいな感じですね。こういうことを言うと怒られるかもしれませんが、日本人の大部分は宗教に関する知識を持っていません。正確には、持っているのですが、それを宗教として認識していない、と言うべきでしょうか。宗教を勉強することと、宗教を信じることを区別できない人が非常に多いので、説明するのが大変です。

まあ、私も宗教は信じているんですけどね。でも、それは他の大部分の日本人もそうです。初詣、盆踊り、夏祭り、お葬式、結婚式、お宮参り、七五三などなど挙げればキリがないのですけども、これらは宗教と言わざるを得ません。たいていの場合「これは宗教じゃない」と言われるのですけども、そう言われる理由についてもだいたいは明らかになっていて、直接的な原因としては神社非宗教論があるのですが、説明が面倒なのでやめておきます。まあ、要は宗教を信じていない人はほとんどいないわけです。それほどまでに宗教は人々に影響を与えているのですけども、それを研究する宗教学は、法学や経済学などの他の学問同様、怪しいものではありません。

というようなことをだいたい説明することになるのですが、たいていここまで言うと「もういいや」みたいな対応をされます。研究内容というよりも宗教の説明でしかない(しかも極僅かな)のですが、こちらも無理に説明するのは疲れますので、説明することはありません。した方がいいのだろうな、とは思うのですが、まあ、難しいものがあります。理系だとこの辺、ちょっとうらやましいです。たとえ他人から理解されないようなことを研究していても、理系というだけで役に立ちそうな雰囲気が漂いますから、「よくわからないけどスゴイ」みたいなところがあるのではないでしょうか。

「その研究って役に立つの?」

上記の通り、研究内容について説明することは残念ながらないのですが、でも宗教を研究しているということは理解してもらえるようです。その流れで「宗教なんか研究して何になるの?」みたいになるわけですね。これは宗教学に限らず、文系ならある程度は言われることなのではないかと想像します(そうでもないかな?)。

これについても説明するのが難しいです。なんていうか、わからないから研究するのであって、その結果がどう役に立つのかもわからない、というのが1つの説明としてあるかと思います。

別の説明をするならば、大学とは何か、という話になってしまうのですけども、そもそも役に立つことを目的とはしていけないとも言えるでしょう。大学は大きく2つに分けることができて、それがドイツ型大学(ドイツ的教養)とアメリカ型大学(アメリカ的教養)です。ドイツのは「よき人格者」の育成を、アメリカのは「よき社会人」の育成を目的としています。そして日本は理念としてドイツ型を掲げています。日本の大学の、建学の精神を見てみるとすぐにわかると思いますが、大抵の場合、人格陶冶について書いているはずです。

では、どうすれば人格を鍛えられるのか、ということになるのですが、それが研究です。研究を繰り返して、新しい知見に触れ、自分が正しいと思っていたことをどんどん相対化させていきます。最近流行りのリベラルアーツにはリベラル、つまり自由という言葉が入っていますけども、これは自己からの自由という意味もあって、要は自己相対化を目指しているわけですね。これをするにあたり、特定の権威とか価値観とかと結びついてはいけません。たとえば、企業からお金が出されると、その企業を相対化して考えるということが難しくなります。なので、「役に立つ」ことと結びつくのがそもそも大学の理念からしてよくないのです。

しかし、多くの人が大学に対して役に立つことを求めるのはよくわかります。というのは、日本の大学の出発点がそうなっていたからです。日本初の大学は東京帝国大学です。ここは、ベルリン大学が作ったばかりの理学部をすぐに導入し、さらに工学部を世界で初めて設置しています。なぜ理学部と工学部の設置を急いだのかと言うと、列強に勝たなければならなかったからです。つまり、列強に勝つために役立つものが求められていたのですね。この東京帝国大学の在り方が現在の大学の在り方にも影響を与えています。

ちなみに言っておくと、役に立つ教育という意味では専門学校の方が遥かに優秀です。でも、多くの人は大学に行きます。なぜでしょうか?それは日本の大学がドイツ的教養を理念に掲げているからです。これがエリート意識を掻き立てるのです。実際、大学と専門学校とでは、大学の方が偉いと思っている人が多いのではないでしょうか?結局のところ、そういう人は、大学が生き残るための養分になっているのですね。その意味で、大学にも責任はあります。

こんなことを言うと、「要はあんたのやってる研究は役に立たないのね?」と怒られてしまいそうなのですが、私はそうは思っていません。わざわざ大学院にまで行って研究しようと思う程度には、それなりに意義のあることをやっているという自負があります。これを説明しようとすると宗教の話をしなければなりませんので、まあ、やめておきましょう。

ぶっちゃけ、この辺のバランスは難しいです。よく、文系の方が「私の研究は役に立ちません」みたいなことを言っているのですが、矛盾するようなことを言いますけど、税金も出ているのですから、それなりに意義のあることをやらないとダメでしょう。でも、役に立つことだけを重視すると、おかしなことになるのも事実です。バランス感覚が必要ですね。

「その年齢で大学院に行くの?」

私は学部を卒業したあと1年半ほど就職して、その後3年ほど自営業をして、そして大学院に行っています。そんなこともあって、今から大学院に行くの?みたいなことを言われます。

これも大学に対する誤解があるのかなぁと個人的には思うのですが、学部であれ大学院であれ年齢は関係ありません。どうも高校の延長くらいに思っている人が多いのかもしれませんが、なんと言えばいいんですかね、逆にあなたは大人になったら勉強しないんですか?みたいなことを思います。もちろん、勉強(大学は研究するところですが)の方法はいろいろありますし、必ずしも大学という形をとる必要はないでしょうけども、別に年齢は関係ないと思うんですけどね。

でも、これに関しても大学に責任があるように思います。というのも、学生を集めないと大学を運営していけないからです。先ほども言ったようにドイツ的教養を掲げて、知的な雰囲気を漂わせて、学生を集めているんですけども、大衆化させたことで企業や社会からの要請にこたえなければなりません。そういうわけで、結果的に日本の大学はアメリカ的教養を実質的に行っています。企業にとっての役立つ人材というわけですから、まあ、大学が就職予備校みたいになるのは当然と言えば当然です。また、日本の多くの企業は、終身雇用は崩壊していても、終身雇用的な文化は残っているので、若い人を雇いたいですよね。なので、大学は若い人が行くところだ、もっと言えば、高校を卒業した者が行くところだ、となるのも無理はないと思います。

聞きたくなる気持ちもわからないではないけど、本来大学は年齢関係ないということは知っておいて欲しいなと思いました。

「お金あるんやね」

これ聞くのもどうかなと思うのですが、中にもそういう人もいるのかもしれませんけども、大部分の学生はがんばってお金を貯めています。娯楽なんかも我慢して、一生懸命に貯めているんです。最初からお金があるかのような言い方はやめてもらいたいと思いました。

「院生ってなにしてるの?」

研究しています。大学院、というか大学は研究をするところです。大学では学業だけでなく、サークル活動とか、何かしらの活動をすることが多いと思います。「無駄こそ知性」というのは真理だと思いますので、いろいろな活動をするのはいいことでしょう。ただ、大学院では、研究をして、一定の成果を出さなければなりません。研究をするということは、今まで誰も明らかにしなかったことを明らかにすることであるので、かなり大変です。なので一日中研究するということも珍しくありません。まあ、研究が進まないときもあるので、ゴロゴロしているときもあるのですけども。

「文系大学院って暇なんでしょ?」

これは以前記事にしました「文系の大学院は暇? - nancolu」。人によると言ってしまえばそれまでなのですが、実際には多くの学生が忙しそうにしています。繰り返しになりますが、研究成果を出さなければならないので、やるべきことは多いです。

ただ、こんなクソみたいなブログを書いているくらいですから、半分当たっているかもしれません(笑)いや、笑ってる場合じゃない…。

まとめ

文系大学院に行って褒められるということは基本的にありませんね。意識的であれ無意識的であれ、嫌味っぽいことを言われることが多いです。別に尊敬されたいとかではないですよ。ただ、そういう言い方をしなくても、みたいなことは多いです。