汚いほど現実に近い


ここ最近、SNSなどにおいて、世の中の汚いところを取り上げ、「現実はこうなっているんだ」と主張することがよく行われているように感じられます。またYouTubeにおいては、その道のプロをゲストに招き、ブラックなところを語らせるという動画が少なくありません。このような現象について少し考えてみましょう。

汚いほど現実に近い

端的に言ってしまえば、そのような現象の背景にあるのは、汚いほど現実に近いという理解です。これは広告の影響があると思われますが、たとえば就活や転職などの仕事に関連する広告では、どこかキラキラとしたイメージを与えるような表現が用いられます。このようなイメージが虚構であることが理解されるようになった、そしてそれに対する反動として、広告はキラキラとしたキレイなイメージを与えるけども、実際はもっと汚いのだ、汚いものこそが現実なのだ、という流れになっているわけです。だから汚いものを語ることによって現実を語ることになります。

現実と価値観の混同

いいところだけでなく悪いところも同時に語ることは客観的な認識へとつながるもので、けっして悪いものではありません。しかし、汚いところだけを強調して、これこそが現実なのだと主張するのは、あまり良い傾向ではないでしょう。なぜなら、これは、現実はこうあるべきだという主張の裏返しであり、自分にとって都合の悪いことをなかったことにしてしまうからです。これは自己絶対化へと陥ります。結局のところ、現実だといって提示しているものは、こうあって欲しい、こうあるべき、という価値観であり、妄信に過ぎません。

自己肯定感と承認欲求

とはいえ、指摘するのは簡単ですが、この背景をさらに探ってみると、なかなかつらいものがあります。今の社会は自己肯定感を得るのが難しいと言われています。自分はダメな人間であるという理解があるわけです。しかし、一方で、SNSにおける「いいね」のように、承認欲求は非常に高くなっています。いや、自己肯定感が低いからこそ他者からの承認を必要とするわけですが、だからこそ大きな溝があって、ダメな自分をそのまま他者から承認してもらわなければなりません。ゆえにそこから生まれてくる行動はひねくれたことになってきます。自己肯定感の低さと承認欲求の高さは自己と他者を区別できないこと、主観と客観の区別がつかないことに起因するもので、なかなかの難問であるように思われます。