「ゲームはただのデータだからやるだけ無駄」なのか?


「ゲームはただのデータ」

普段からゲームをやっていると、たまにではあるのですが、「ゲームってただのデータだよね」みたいなことを言う人がいます。さすがに面と向かって直接的に言ってくる人は稀ですけども、ネットではよく見かけますね。

「ゲームはただのデータ」というのはなかなか曖昧な表現なのですが、こういうことが言われる文脈などから、「ゲームはバーチャルに過ぎないのだから、そんなことに時間を使う暇があったらリアルで何かをしたらいかがか」といった意味なのだと解釈することにします。これについて少し考えてみたいと思います。

ゲームはバーチャルか?

「ゲームはただのデータ」という発言におけるゲームは、ゲーム機を用いて遊ぶデジタルゲームのことを言っているのだと思いますが、少し大きく捉えてボードゲームで考えてみましょう。代表的なものに将棋があります。おそらく、大多数の人が将棋はリアルだと答えるでしょう。では、将棋をゲーム機やスマホで遊んだ場合、それはバーチャルなのでしょうか。何が言いたいかというと、ゲームがリアルであるかバーチャルであるのかはそれほど重要ではないということです。区別する意味はありません。

本来的なゲームの話

ただ、区別する意味がないというのは、本来的なゲームの話です。現在ではゲームでないものがゲームと呼ばれるようになったために、話がややこしくなっています。そこで本来的なゲームがどういうものであるのかを簡単に書いておきます。

「ゲーム」を辞書で引くと、試合や勝負という意味が出てきます。今ではゲームというとデジタルゲームのみを指すかのようになっていますが、実際には野球やサッカー、将棋などもゲームです(ゲームセットなんて言ったりもしますよね)。

ゲームには必ず対戦相手がおり、ゲーム参加者は勝利を目指します。対戦相手は人間であり、意思があります。そして、どのような手を使ってくるかはわかりませんから、ここに不確定要素があります。ゲームは、この不確定要素に対して戦略と戦術を駆使して確実性を高めていくものです。ゲームは考えることと言い変えることもできるでしょう。これが本来的なゲームです。

デジタルゲームについても考えておきましょう。おそらく、一般的な意味でのゲームとしてファミコンなどのスーパーマリオを連想する人は少なくないはずです。このゲームには敵としてクリボーが出現します。このクリボーはマリオを主体的に倒そうとしているでしょうか。そんなことはありません。プログラム通りに動いているだけです。つまり、これはゲームではありません。その意味で、一般的にゲームと呼ばれている大部分のものはゲームではないのです。それがゲームと呼ばれるようになったのは、再生する機械の名称がゲーム機であるからに過ぎません。

本来のゲームは記号と数字で表現できる

これは将棋がわかりやすいでしょう。どの位置に駒があるのか、また異なる動きができる駒の識別さえできれば、その表現の仕方は何でもいいわけです。極論、駒なんか使わなくても、A、B、C…で遊べますし、駒の位置を示す数字まで把握できれば、頭の中だけで完結することもできます(無理ですけど)。だからこそ、ゲームはリアルでもバーチャルでもどっちでもいいわけです。

これはデジタルゲームでも同じことです。大ヒットしたスマブラ(スマブラは本来的なゲームといっていいでしょう)で考えてみます。いろいろなキャラクターが戦うわけですが、別に○と△が戦ってもいいのです。あとは、その記号の位置情報さえあればゲームとして成り立ちます。ただ、これではあまりにも抽象的すぎるので、記号と数字の解釈として、そこにキャラクターを当てはめるわけです。そうすることで、マリオがピカチュウを攻撃した、といった物語として楽しめます。

ゲームとゲームの解釈

デジタルゲームには2つの要素があることがわかります。ゲームとゲームの解釈です。ゲームはリアルでもバーチャルでもどっちでもいいものですが、ゲームの解釈は明らかにバーチャルです。

そして、既に確認したように、世の中にはゲームでないもので溢れています。それらはゲームの解釈が肥大化したものです。

そのため、ゲームの解釈だけにこだわっている場合であれば、それを客観的に見れば、確かにただのデータに時間を費やしているに過ぎないでしょう。

バーチャルは無駄か?

データ、つまりバーチャルは無駄なものとして認識されることが多いです。しかし、よくよく考えれば、私たちの生活はバーチャルによって成り立っていることがわかります。

国は典型的なものでしょう。地球上に国境はありません。人間が勝手に作り上げたものに過ぎず、バーチャルです。しかし、私たちは国があるという前提で実際に生活をしているのであり、その意味で国はリアルでもあります。

一般的にゲームと呼ばれているものの大部分はバーチャルでしょう。しかし、そのバーチャルに触れることで感情が動いたり、そのバーチャルを話の種として友達と仲良くしたりできます。これはリアルです。なので、一概にバーチャルは無駄とは言えないのではないでしょうか。

リアルとバーチャル

しかし、バーチャルにも問題がないわけではありません。それは、バーチャルにリアリティがない場合です。リアリティのないバーチャルばかりに触れていると、リアルを実感することができなくなり、視野が狭くなります。

この点においてゲームの解釈はどうなのかと考えると怪しいと思ってしまうところが確かにあります。

まとまりのない記事になってしまいましたが、リアルとバーチャルの関係は、ゲームに限ったことではなく、さまざまな分野でしっかりと考えなければならないでしょう。