ゲームの本質を考える


「eスポーツ」という言葉が出てきたことによって、果たしてゲームとは何かという疑問が再燃してきたように感じられます。そこでこの記事ではゲームの本質について考えてみます。

多様なゲーム

一般的にゲームというと、ゲーム機やパソコンで遊ぶデジタルゲームがイメージされます。しかし、トランプの大富豪や花札のこいこいといったものはカードゲームと呼ばれ、ゲームの一種です。チェスや将棋はジャンルとしてはボードゲームであり、これもゲームに含まれます。さらに、サッカーや野球では試合終了後に「ゲームセット」と言いますが、これらもゲームなのです。

ゲームについて考えるならば、以上のようなゲームが持つ多様性も考慮に入れなければなりません。デジタルゲームはここ数十年程度の歴史しかないのであり、単にゲーム機やパソコンで遊ぶデジタルゲームのみをゲームと認識していると、その本質を誤解することになります。

そこで、デジタルゲームを除いた、歴史のあるゲームについて目を向ける必要があるでしょう。

多様なゲームに形式的に共通するもの

結論から言いましょう。形式的に共通するところは試合です。ゲームには必ず複数のプレイヤーが参加し、それらが勝利(目的)を目指して戦います。そして公平に勝敗を競うためにルールが設けられます(目的それ自体もルールに含まれますが)。

たとえば将棋であれば、2人のプレイヤーが敵の王将を取ることを目的として戦います。またルールが定められており、駒の動かし方を勝手に変えたり、相手プレイヤーを殴って動けなくして物理的に王将を取ったりすることは、あってはなりません。

サッカーであれば、2つのチーム(このようにゲームの参加者は必ずしも2人ではありません)が相手のゴールにボールを蹴り入れることを目的として戦います。ゴールに入れた回数の多い方が勝ちです。サッカーにもルールがあり、ボールを手に持って相手ゴールを目指して走るのはルール違反になります。

そして、これが重要なことなのですが、これら形式から必然的に導き出せるものとして戦略・戦術があげられるでしょう。ゲームに共通の目的とルールがある以上、参加プレイヤーの状況は公平です。そして、相手プレイヤーがどのような行動をとってくるのかわからない以上、不確定要素があります。この不確定要素を確実に近づけなければ勝つことはできません。つまり相手の動きを読んだうえで、自身の行動を選択していく必要があるのです。これが戦略・戦術として出てきます。

ゲームの面白さはまさにこの点にあります。相手はどう動くかわかりません。そのため、公開されている情報を頼りとして相手の考えを読み、仮説を立て、それに基づいて行動をすることになります。仮説が正しければ勝利は近い!しかしゲームでは何が起こるかわかりません。仮説通りだと思っていると、それはもしかすると相手の罠である可能性があります。本当に仮説通りだったとしても、油断して、人間的あまりに人間的な行動を取ってしまい、相手に隙を与えてしまうかもしれません。たえず考え、実践し、そして修正をすること。この駆け引きこそがゲームの面白さなのです。

もう一つの欠かせない要素

ゲームは試合です。しかし単なる試合ではまだゲームになりきることができません。ゲームは遊びでなければならないからです。

では遊びとは何でしょうか。ホイジンガの議論を参考にしましょう。

遊びとは、あるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行われる自発的な行為もしくは活動である。それは自発的に受け入れた規則に従っている。その規則はいったん受け入れられた以上は絶対的拘束力をもっている。遊びの目的は行為そのもののなかにある。それは緊張と歓びの感情を伴い、またこれは「日常生活」とは、「別のもの」という意識に裏付けられている。

(引用:ホイジンガ(高橋英夫訳)『ホモ・ルーデンス』中公文庫、1973年)

このように遊びはそれ自体が目的でなければなりません。日常生活と別物でなければならないのです。つまり、ゲームの目的は勝ちを目指すこと以外にあってはなりません。なので、賞金を得ることを目的としてゲームに参加するといったことが生じると、それはゲームではなくなるのです。

ゲームに対する批判として、そんなものをやっても役に立たない、というものがあります。しかし、ゲームに含まれる遊びという要素を考えるならば、的外れと言わざるを得ないでしょう。ゲームはゲーム自体で完結しなければならず、役に立たないことにこそ価値があるからです。ゲームは日常生活と分断されていなければなりません。分断されているからこそ、安心して負けることができるのです。すなわち純粋に試合を、駆け引きを、楽しめるのです。

ゲームと呼ばれているがゲームではあり得ないもの

ここまでの説明で、ゲームがどういうものであるのかをざっくりと示すことができたと思われます。ここで、ゲーム機やパソコンでなされるデジタルゲームについて考えてみましょう。

デジタルゲームと呼ばれるものの代表作にスーパーマリオブラザーズがあります。1面にクリボーが出てくるあの作品です。このクリボーにやられた人は多いでしょう。では、このクリボーは試合をしているでしょうか。戦略・戦術を用いて主体的にマリオを倒そうとしているでしょうか。答えは言うまでもなく否です。あのクリボーはプログラマーの指示に従って動いているに過ぎません。

このように考えると、一般的にゲームと呼ばれているものの大部分はゲームでないことがわかるでしょう。では、なぜゲームでないものがゲームと呼ばれているのでしょうか。これは極めて単純なことで、ソフトを再生するハードの名称が「ゲーム機」だからです。つまりゲーム機で再生できるからゲームとなったのです。ゲーム機の登場はゲーム概念の形成に大きな影響を与えました。しかし、このようなゲーム理解はここ20年程度のものに過ぎません。それ以前からゲームは存在していましたし、豊かな伝統を持っていることを忘れてはなりません。

少し話が逸れますが、いわゆるeスポーツは本来的な意味でのゲームをデジタルで表現したものです。代表的なタイトルにストリートファイターがありますが、これは立派な試合でしょう。その意味で、eスポーツはゲームです。正確に言うならばデジタルゲームです。「e」にこだわるならば、eゲームと呼ぶべきでしょう。しかし、eスポーツにおいては賞金が欠かせない要素となっていて、遊びの要素が欠けているので、たしかにゲームではありません。「スポーツ」ということにしておけば、確かに何かと都合が良さそうです。とはいえ、本来のゲームがゲームと呼ばれず、ゲームでないものがゲームと呼ばれているのは、なかなか皮肉なことではないでしょうか。

ゲームではないもの

一般的にゲームと呼ばれているものが、実はゲームではなかったということを示すことで、本来的なゲームがどのようなものであるのかが、少しは明確になってきたのではないかと思われます。そこで、さらにゲームではないものをいくつかあげ、ゲームの輪郭をよりハッキリさせてみます。

パズル

ゲームとパズルの最大の違いは不確定要素の有無です。ゲームには対戦相手がおり、その頭の中を確認することができない以上、常に不確定要素が存在します(そしてだからこそ戦略・戦術を立てる余地が発生します)。ゲームに明確な答えはなく、ゲーム終了後にリプレイを通して、この場面はこうすべきだったな、と反省する程度のことしかできません。

一方パズルは、答えを前提します。答えがなければパズルとして成立しません。たとえば、絶対に成立しないクロスワードパズルがあるとすれば、それに挑戦した人は怒るでしょう。成立しないクロスワードパズルは端的に言ってミスであり、それの制作者は謝罪しなければならないかもしれません。答えに至る方法はいくつかあるかもしれませんが、答えは絶対であり、必ずそこに到達できるようになっています。

ギャンブル

ゲームとギャンブルの違いは勝てる根拠の有無です。ゲームの場合、必ず情報があるので、その情報を頼りに相手の考えを読むことができます。将棋であれば、相手の駒の配置や動かし方から、何をやろうとしているのかを想像することができるでしょう。自分はそれを頼りに読んで、次の行動につなげることができます。

一方ギャンブルは、完全に運です。ルーレットであれば玉がどのポケットに入るかはまったくわかりません。どのポケットを選択すれば勝てる確率が上がるかを予測することは不可能です。

もっともギャンブルには損得がつきものであるため、遊びが欠落しており、ゲームではないということもできます。

タイムアタック・スコアアタック

たとえば、現在の記録が将来の記録に影響を与えるということはあり得ないことです。現在の記録がなくても、将来の記録は独立した形で存在することができるでしょう。また現在の記録を作る際に、将来の記録に勝つぞ、というようなことは考えないはずです。記録が他の記録に干渉することはあり得ません。

これは徒競走やフィギュアスケートで考えるとわかりやすいです。徒競走の大会では複数人が同時に走りますが、自分の走りが他者の走りに影響を与えることはないと考えられます。フィギュアスケートも同様に、自分の演技が他者の演技に影響を与えることはありません。誰かが超高得点をたたき出し、後続が「あれを超えるスコアを出せなければならないのか…」とプレッシャーを感じて失敗する、なんてこともあるかもしれませんが、それは戦略的にやっているわけではないのでゲームとは言えません。仮に戦略的にそれが可能なのであればルールの欠陥というべきでしょう。

また話が逸れますが、ゲームとスポーツの境界線は極めて曖昧です。なぜならスポーツの大部分は形式的にゲームだからです。サッカーや野球はもちろんのこと、バスケ、バレー、テニス、ラグビー、柔道、レスリング、フェンシングなどなど、これらはスポーツであると同時にゲームといえます。そのため、先ほどと矛盾するかもしれませんが、「eスポーツ」という名称は決して的外れとはいえないのです。

まとめ

万人を納得させることはできないということを重々承知していますが、1つの考え方として、ゲームは遊びとしての試合であるということができるのではないでしょうか。