「頭が悪くて何が悪い」について


全然知らない人なのですが、Twitterで「頭悪いですね」「頭が悪くて何が悪い」的なやり取りをしているのを見つけてしまい、なかなか残念な気持ちになってしまいました。「頭が悪くて何が悪い」について考えてみたいと思います。

意味

「頭が悪くて何が悪い」と言われた方は、まともな感覚を持っていれば「は?」となるでしょう。というのは「頭が悪い」と言っているのであって、頭以外に何が悪いんだ?となるからです。まあ、知らない人に「頭が悪い」と言うのもどうかと思いますが。

「頭が悪い」と言う方としては、勉強なり何なりすれば改善できることをしていないからこそ「頭が悪い」と言うのですが、「頭が悪くて何が悪い」と返されてしまうと、ちょっとした努力すらもやろうとしない堕落した人間に思えてしまうわけです。だからこそケンカになってしまう。

ただ、「頭が悪くて何が悪い」の意味を次のように理解すればわかりやすいでしょう。つまり、善悪の問題としてです。頭が悪いことは道徳的な悪ではない、という意味です。これは割と根深い問題ではないでしょうか。

生存に直結している

頭が悪いことが善悪の問題として認識されているということは、これが生存の問題として理解されているのであろうと思われます。端的に言えば、頭の悪い人間は生きていてはいけない、という理解です。だからこそ、「頭が悪くて何が悪い」と発言する人は、それによって「頭が悪くても生きていていい」と反論しなければならないのでしょう。

これは現代の教育と大きく関連していると思われます。日本にはレールがあると言われています。つまり、よい学校に行ってよい会社に行く、というようなものです。これを言うのはたいてい親や教師であるわけですが、もちろん彼らは子どものためを思って言っています。やはり子どもにはよい人生を送ってもらいたい。だからこそ、よい学校に行ってよい会社に行けばよい人生が送れると繰り返し言うのです。親や教師はまさに現代版預言者というべき存在でしょう。

では、よい学校に行けなければよい会社にも行けないのか。よい会社に行けなければよい人生も送れないのか。よい人生に参入するためには、その入り口としてよい学校があるのであり、よい学校に入るためには頭が必要です。なので、頭が悪ければ理想的な人生に参入できないことになります。

見え過ぎている人生

なんだか壮大な話になってきたのでそろそろ切り上げようと思うのですが、実際のところ、頭のできだけで人生が決まるなんてことはありません。ですが、どうもそう教え込みたい人やそう信じたい人は少なくないようです。現実は極めて複雑であり、簡単に割り切れるものではありません。なので将来というのは誰にもわからないはずなのですが、見えていると錯覚してしまう状況が現代にはあります。将来なんてわからないのが丁度いいくらいなのですけども、わからないと不安になってしまうのかもしれませんね。