「役に立つ」ってなんだろう?

役に立つとは?

前からずっと考えているんですが、全然まとまらず、でも一応文章にしてみたいということで書いてみたいと思います。

仕事をしていたら、自分としては役に立たないと思っていても、それに反してやっていかなければならないことがあると思います。例えば、私は書いて稼いでいるんですけども、私は書いたことがなんですが、芸能ニュースのようなものです。

ネットを検索すると、誰と誰が不倫している、というような記事を簡単に見つけることができます。名前は出しませんけども話題の雑誌がそういうのを見つけてきて記事にして、それでえらい売れているわけですね。

私としては、そんな芸能人の不倫とか知って何になるんだ、と心底思いますし、昔はやった「一億総白痴化」という言葉が思い出させるくらいです(小さい頃にテレビばかり見ていた私は案の定こんなことに…)。

しかし一方で、そういうのを好んで見たい人はいるわけですし、それを見ることによって「えー!誰々と誰々がぁ!?」と喜んでいる人は実際にいます。喜んでいるんですからその人にとっては良かったんでしょうし、気晴らしになっているんだったらそれは役に立っているとも言えるだろうと思います。

というのを考えた時に、本当に「役に立つ」ものって一体何なんだろう、という疑問があります。

価値判断

結局のところ、「役に立つ」というのも価値判断なんですね。たとえ同じ芸能ニュースであっても、それを読む人が持つ価値基準によって、「役に立つ」と思う人もいれば「役に立たない」と思う人もいるわけです。芸能ニュースそのものに良い悪いがあるのではなくて、芸能ニュースはそのまま芸能ニュースです。

よく戦争は正義と悪の戦いではなく正義と正義の戦いだとはよく言いますよね。AとBの2つの国があって、AにはAの立場があってその結果としてBに勝つのが正義であると考え、BにはBの立場があってその結果としてAに勝つのが正義である、これを関係のないCがみれば正義と正義の戦いに見えます。もちろんCは立場を共有していないのでAとBが戦っているだけに過ぎないんですけど。

あと、例を挙げようと思えばいくらでもあるんですが、スマホに髪の毛が落ちたとします。スマホでブラウジングしていてスライドしようとしているという状況では髪の毛は邪魔なものだろうと思います。しかしスマホで何か図形のパズルを解いているとして、そのときに髪の毛がいい具合に落ちて「なるほど、ここに線を引けば解決するぞ!」というように役立つかもしれません。

こんな感じで、芸能ニュースは別に悪いものでも何でもなくてただ芸能ニュースです。戦っている本人は正義のつもりでも傍から見ればただの戦いです。スマホの上に髪の毛が落ちても、これはスマホの上に髪の毛が落ちているというだけであって、それ自体に良い悪いがあるわけではありません。

つまり、それ自体はただの出来事であって、それが良いのか悪いのかは条件がなければならないということです。またその条件というのも人や環境によって変わってきます。

さすがに公共に反することにまでそういうことを言い出すとマズいと思うんです。「じゃあ別に泥棒も悪いわけじゃないよね、建物から物を持ち出しただけだよね」とか言い出すと社会が成り立ちませんので。なので法律のように共通の定義は必要になると思うんですが。

ただ仕事のようなことになると何をすべきなのかが分からなくなってきます。お金というのは1つの基準にはなるでしょう。お金を払うということは、それを求めているということですから。しかし、では芸能ニュースのようなよく分からないものをぽんぽこぽんぽこ出してもいいのかというと、何か違う気もするんですね。

仕事をしていると「オレのやってることは社会の役に立っているんだ!」という人を見かけますが(そうでもないか)、その「役に立っている」というのはどのように判断しているのか、信仰のようなものじゃないのか、という気がしてきます。

個人的なことを言うと…

他人との関係性の中で考えるとよく分からなくなってくるんですが、個人的なことを言うと、できる限り価値判断をすることなく、そのままの状態を受け入れるというか、そういう視点を持った方がいいんじゃないかなぁ、という気がしています。価値相対化とか言うんですかね?よくわかんないですけど。

0を目指すというか。だからマイナスとして考えられていることに対してはプラスの側面を考えて、逆にプラスとされていることに対してはマイナスの側面を考える、という感じです。

しかしやっぱり人間ですから本能的なところはありますよね。本能かどうか知りませんが、散歩中に犬のうんちを踏んでしまったら「なんてこった!」とマイナスになってしまいます。別にうんちを踏んでも、「うんちを踏んだ」というただの出来事です。でもそれに対して「なんてこった!」とマイナスに捉えてしまうんですね。逆に臨時収入があったら「やった!」ってプラスに考えてしまいます。「たまたまお金が入った」という出来事に過ぎないのに、です。

世界そのものはただの出来事、現象に過ぎないとしても、人間はそれを論理ではなく感情的な形で捉えようとします。ただ、私はその感情というのも絶対にダメだとは思わなくて、結果的に0にしていくべきなんじゃないか、という気がします。

例えば私は「なんで人間って死ぬのかなぁ」と考えてマイナスになることがよくあるのですが、そのときに絵画を鑑賞したり小説を読むことでマイナスを0に近づけることができます。

このように常に0であるのではなく、また常にマイナスやプラスであるのではなく、マイナスやプラスになること自体は否定することはないけども、マイナスとプラスを絶えず行き来するような、そしてその結果として0にしていくような、そんな状態が理想なのではないか、と考えています。うーん、わかんないですけど…。

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