nancolu

一般人の個人ブログです

「私」は死ぬのか

ちょっとタイトル大げさ(笑)

「私」の死

生きている上で最大の問題となるのが、将来的に寿命なりなんなりで確実に死ぬということが分かっていることです。これについてどう考えるかということについてです。

まず簡単なところから言うと、「私」が死んだとき、「私」自身の死を観察することはできないため、「私」が死んだ後については「私」の死は問題になりません。養老孟司さんが言うところの一人称の死ですね。

しかし、とは言っても生きている間は死について意識してしまうわけですが、これについても「純粋なる私」(「なぜ生きるのか」と問うこと自体がおかしい - nancolu)というのを想定しているからこそ、死に対する恐怖が生まれるのかもしれません。結局のところ、この意識している「私」(アイデンティティ)は「私」だけで成り立っているのではなくて、あらゆる「私」以外との関係性の総合です。つまり死について悩んでいる「私」は「私」ではありません。

ついでに体について。体は何億もの細胞によって成り立っていますが、細胞は常に入れ替わっているのであって、体は常に変化しています。また細胞は何によって成り立っているのかというと、食べたお肉とか野菜とか水とか、そういった「私」以外のものです。もっと言うならば、体という物質は原子というただの点で成り立っており(最近ではヒモであると言われたりもしています)、要は点の関係性に過ぎません(これを創発と言いますが、なぜ創発が起こるのかは分かっていないそうです)。なので「私」の体は「私」ではありません。

つまるところ、「純粋なる私」というあり得ないものを仮定しているからこそ、死への恐怖が生まれてくるのだろうと思います。結論、「私」は死なない。より正確に言うならば「純粋なる私」は存在しないために、そもそも死ぬこともない。言い換えるならば、個人の死というよりも、社会的損失と考えた方が分かりやすいかもしれません。また損失をなくすためには後世に伝えていくという作業が大切になるのだろうと思います。

おお~(笑)私も立派な哲学者になった気分ですよ、哲学者は死にませんからね(笑)しかし痛覚についてはイヤですね。

「私」の死の周囲への影響

と言いつつも、「私」の死が「私」にとって問題ではないにしても、「私」の周囲に与える影響はあるだろうと思います。家族や友達などの関係者は悲しむでしょうし、仕事など社会においては大きな損失になります。なのでこの辺のことは無視できないだろうと思います。関係性についてはしっかりと考えないといけないと思います。