nancolu

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なぜわかったつもりになるのか



図書館でブラブラしていると「わかったつもり 読解力がつかない本当の原因」(西林克彦、光文社新書)というタイトルが目に入って、そのまま借りてきました。とりあえず読んでみたんですけども、かなり面白かったです。いい本でした。最後の国語教育の「最も適切なものを選べ」は避けるべき、以外に関しては、なるほどなぁ~と思えるところがたくさんありました(適切には段階がある、ということをずっと主張していたんじゃないの?)。

それで、以前に話が通じない - nancoluっていう記事で、解釈ができないがゆえに話にならないということを少し書きました。本にも書いてあったんですが、文脈を追えない人がいるようで、だから言葉が持つ意味の多様性を理解できないんだと思います。私は概念がおかしいからだと考えていたのですが、本ではスキーマが原因と書いててなるほどなと新たな視点を得ることができました。

ただ、概念であれスキーマであれ、文脈を考えない傾向があるわけでしょう。ではなぜ文脈を考えることができない(しない?)のかと考えると、けっこう深い闇のようなものがあるように思えてくるんですよね。

だから、話が通じない - nancoluでも書いたんですけど、言葉を記号的に考えているんだと思うんですよ。言葉を記号として単純化して、言葉が持つ多様性、複雑性を考えないわけだけど、飛躍しているかもしれませんが、セカイ系と似ていると思いません?自分の個人的なことが世界にそのまま影響を与える、というものです。自分の選択1つで世界が崩壊するか救われるかという事態ですよね。実際そんなことがあるわけないのですが、現実という複雑性を理解しないから、中間を吹っ飛ばしちゃう。世の中を動かしているのはサラリーマンとかそういう人たちなんですけども、それをないことにしてしまう。

読解力の問題は昔から言われているような気もしますが、やっぱり世代的なものを感じますし(ちなみに私はゆとり世代です)、一部の人間ではなく全体的にその傾向があるのならば、構造的なものを疑ってしまいます。いつもこれを言っていて失礼な気もしているのですが、上の世代が作った環境の中で我々ゆとり世代は生まれたんですからね、ゆとり世代そのものではなく、その上の世代に根本的な問題があったんじゃないの?とか思わないでもないです。まあ、ゆとり特有の傲慢性です、すみません、気にしないでください。