努力が報われない、全ては運なのか…?

運要素は確実にある

頑張って、頑張って、頑張っているのにも関わらず、その一方では全く努力することなしに、それを手に入れている人というのは確実に存在しています。

容姿は典型的でしょう。生まれながらにして可愛い人やイケメンがいる一方で、高いお金と覚悟を決めて美容整形を行う人だっています。

お金もそうかもしれません。生まれながらにしてお金持ちの家に生まれて、特に働かなくても十分な資産がある、など。

確実に運だけで決まってしまうことはあるはずです。努力をすれば必ず報われる、というのは綺麗ごとでしょう。

努力に意味はないのか

運だけで決まってしまうことがあるならば、努力には意味がないように思われます。確かに努力をすれば確実に報われる、というのはあり得ないでしょう。しかし、だからと言って努力に全く意味がないことはないはずです。

考え方を変えてみましょう。努力をすることで報われる、のではなく、努力をすることで運が良くなる、というように。

運というのは意外とそこらへんに転がっているものです。そしてそれに気づくことができないだけかもしれません。

こういうことを経験したことがある人は多いのではないでしょうか。会社で「今こんな問題があるんだけど、誰かこの問題について知識を持っている者はいないか」というアナウンスを聞くも、そんな知識なんかあるわけないだろ、と簡単に聞き流すような。

もし日々いろいろなことに興味を持ち、勉強をしていれば、その知識を持っていたかもしれませんし、その結果として問題に携わり、問題解決に導き、昇進や良いポストが与えられることだってあるかもしれません。

努力の結果が期待するものであるとは限らない

努力というのは多くの場合、何らかの期待する結果というのがあり、それに向かって努力をしていくことが多いです。例えば、小説家になりたいとして、そのために本を読んだり書く練習をする、というような感じです。

しかし小説家になれるかどうかは分かりません。失敗する可能性の方が高いでしょう。でも、小説家になる努力が無駄になるとは限りません。もしかすると、書く練習が小説ではなく評論に役立つかもしれませんし、小説を書くために集めていた知識が意外な発見に繋がり学者になれるかもしれません。

もちろん、こういったことは分かりません。分かりませんが、努力が何かに繋がることは大いにあり得ます。今やっている努力が将来的に何に繋がるのかは分かりませんが、でも将来の運を高めていると考えると、やる気も出てくるかもしれません。

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