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東大生=頭が良い=何でもできる



この前テレビで、東大生がクイズに答えるという番組を見たことがあるのですが、それについて思ったことを簡単に書いてみます。

東大生は何でもできる

その番組を見ていて感じたのが、東大関係ないなぁ、ということでした。東大関係ないのにそういう内容が番組として成立しているのは、なかなか興味深いです。たぶんですけども、タイトルのようなことが一般的に思われているんじゃないかぁという気がします。

「東大生」は「頭が良い」。「頭が良い」の定義がわかりませんが、難関の試験をくぐり抜けているのですから、まあ確かにそうかもしれません。そして、「頭が良い」が「何でもできる」に繋がっているように思うんです。だから何の関係もないクイズ番組に出てくるんだろうなと思いました。

「東大卒なんだからできて当然」

さて話は変わって仕事の話です。私は東大卒ではないんですが、東大卒の人が就職して仕事をするようになると、上司など、周辺から「東大出てるんだろ?これくらいできるでしょ、何でできないの?」みたいなことを言われることがあるそうです(テレビではそういうのを聞いたことがあって、冗談だろと思っていたのですが、本当にあるんですって。ビックリですね)。

ここには「東大卒」と「東大以下」の2つの立場があります。東大以下が東大卒に対して「できて当然」と言うわけです。東大以下は東大に対して、頭でっかちでロボットみたいな奴的なイメージを作り上げ、さらに自分の側は、柔軟に仕事をできるすごい奴というイメージを作り上げます。

東大以下は東大卒に上のようなイメージ、価値観を押し付けます。すると東大卒は抑圧されてしまうため、十分なパフォーマンスを出すことができません。

学歴信仰は構造的暴力を生み出す

今はテレビから思ったことなので東大にしましたが、別に東大である必要はなく、高学歴と低学歴でも同じことです。おそらく高学歴と低学歴というだけではそんなに問題にはならないと思いますが、そこに何らかの権威、たとえば年功序列などが加わると、厄介なことになるだろうなと想像しました。

「東大」という記号は簡単に商品と結びつくので、使いやすいというのもあるのでしょうけども、ちょっとした危険を感じないでもないです。まあそんなことを言い出したら何もできなくなってしまいそうな気もしますけども。

東大といえ、大学です。最高学府=東大と思っている人も少なくありませんけども、最高学府は大学です。別に東大に価値はないなんていうつもりはありませんが、東大(あるいは大学)という記号が独り歩きして変な方向に行っているように思います。東大だからといって何でもできないといけないことはありません。できないことはできないと言おう。