nancolu

一般人の個人ブログです

モノの質をどう判断するか

タイトル大げさですが昼に書いた「なぜ私は商業的なものに興味がないのか - nancolu」の付け加えというか、そんな感じです。

モノの質は、要はそのモノが本来持つ機能を考えれば良いと思います。さっきは腕時計を出したのでもう一度腕時計で考えてみたいのですが、腕時計の機能はいつでも時間を確認できることです。なので、いつでも時間を確認できるという機能性に優れている腕時計が質の高い腕時計です。

個人的に最も質の高い腕時計はグランドセイコーではないかと思っています。まず時間の正確性ですが、これはセイコーとシチズンは世界でも最高峰です。ほぼ誤差がありません。そしてこの2社の腕時計はめちゃくちゃ軽くて、しかも丈夫なんですね。なのでどこでも使えるという点でも優れています。また腕時計には時間以外にもマナーとしての一面もあります。マナーというのは要は見た目の問題になるのですが、デザインとしてはグランドセイコーはヤバい。シチズンもいいけども、グランドセイコーは品性において突出しています。こんな感じでグランドセイコーは腕時計としての機能を十分に備えているので、腕時計として質が高いと言えるだろうと思います。

(全然関係ありませんが、安部さんはグランドセイコーを使うそうです。あまり安部さんの考え方は好きではないのですが、グランドセイコーを使うあたりセンスはいいなと思いました、という謎の上から目線w)

そしてついでに腕時計として質の低いものとしては、(失礼ではあるんですけども)おそらくロレックスだと思います。セイコーほどの時間の正確性は持ってませんし、ロレックスは存在感をかなり意識しているので、デカくて重くて、というデザインになります。常に腕に付けているのはちょっと疲れますし、派手目であるのでマナーとしても使えないことはないけどもあまり向いていません。

たぶんロレックスは「腕時計」という枠組みよりも「ロレックス」という枠組みで考えた方が良いだろうと思いますし、つまりブランド戦略が成功している証拠だとも思うのです、それはそれでいいんですけどもね。

ていう以上のような感じでモノの質を判断すればいいんじゃないかな、と私は思っています。

それでね、日本はモノの質を高めるのがめちゃくちゃ上手いんです。腕時計もそうですけども、時間の正確性という点でセイコーとシチズンは世界でもトップクラスであるわけです。他にもテレビもスゴイですね。画質を上げるという点ではかなりスゴイことになってきました。4K8Kが出てきて、あまり注目されていないけども、画質はスゴイ。

それに対して海外、特にアメリカやヨーロッパはブランドを作るのがめちゃくちゃ上手いです。ロレックスもそうですが、腕時計としての機能では完全に日本に負けているんですけども、結果的にはロレックスの方が売れています。他にもブランド物と言えば、ヴィトンとかエルメスとかそういう海外ブランドをイメージされる人は多いでしょう。

別に海外の考え方やブランドがダメだと言いたいわけではないのですが、私はモノの質を重視する傾向があるので、日本の商品は大好きです。日本のモノづくりの技術は本当にすごいです。

でも大衆化が進んだこともあるんだろうと思うんですが、日本のモノづくりがあまり評価されていません。評価されていないことはないんですが、4kの高いテレビ買うよりも安いほどほどのテレビ買いたいと思う人は多いでしょ?そういうもんなんですよ。これが加速すると日本の技術がなくなってしまいます。テレビみたいにある程度需要あるものはまだいいですけども、伝統工芸品とかになってくると本当にマズイです。私はいつも書いているんですが、着物は典型的です(着物業界は衰退すべき)。

結局のところ、質の高いものは売れないんです。質の高い物は難解になりがちなので、素人には何がどうすごいのかが分からないわけですね。セイコーとかシチズンが0.何秒の僅かな誤差をなくしても素人にはどうでもいいわけです。それだったらぱっと見でゴージャスなロレックスの方が分かりやすい、あるいは値段の安いものの方がいい。

こうなると功利主義的になってしまいます。つまり、より多くの人が良いと思うものが良くなるわけです。そして質の高い難解なモノは大半の人間にとっては不要なものであるから、素人にとって良いものが支配的になって、質が低下すると共に画一化します。あるいは自由主義的にモノを作っても、長い目で見れば功利主義に至ります。「長い目」というのがどれくらいなのかまた問題なんですけども、まあここではいいでしょう。

功利主義とか自由主義はモノの機能を無視します。なので、完全に否定しはしないけども、あまり良い考え方ではないように私には感じられます。このモノの機能は何なのか、またそれを高めるためにはどうすればよいのか、というようなことは常に考えねばならないと思うんですね。

それで人間ですよね。人間の機能、というか人間性とでも言うのかな、これはしっかりと考えないといけないことだと思うんですよ。これを功利主義とか自由主義的に考えると、人間というものに多様性がなくなって薄っぺらなものになってしまうような気がするんです。

ましてや今の時代、人間性というものはないということがハッキリとしてきて、また最近ではAIの進歩によって「あれ?人間いらんくね??」みたいな考え方も出てきているなかで、嫌でも考えざるを得ない状態になっていると思うんです。ないから考えないでいいのではなく、ないから考えないといけないと思うんです。そしてないなら作るしかないのであって。まあさすがに0から考えるのは難しいですから、過去のそれからヒントを得て、「作る」というよりも「アップデート」の方が近いと思いますが。

そうなった時に何が重要かと言えば、私は主観だと思うんです、もうちょっと具体的に言うならば意志だと思うんですけども。しかし今の時代、どうも主観と客観がかなり分かりにくくなっているようで、自分がない人が非常に多いわけです。これって重症じゃないですか?

ベーシックインカムは私は無理じゃないかなと思っているのですが、でも今でも既にそれに近い状態にはなっています。今後もっと良い感じになっていくのかもしれません。こういう問題に関しては、与えればある程度は解決できるものです。しかし人間性がない、また主観がない、という問題は与えれば解決するというものではありません。これは自分で獲得していくものであり、ハッキリと言えば勉強をして知識を蓄えていく必要があるのですが、知識は教科書みたいなのを与えることはできても、本人が学んで自分で理解しなければ意味がありません。これは物凄い格差を生むんじゃないかと思うんです。だから興味を持たせないといけないじゃないかと思うんです。