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信じられない、でも…



無理

今日のこころの時代は良かったですね(いつも言ってるような…)。作家の高村薫さんが登場されていて、聞き手は釈徹宗さんでした。

お母さんがお寺出身らしいのですが、近代教養主義とかでキリスト教系の高校、大学に行かれたそうです(同志社からICUみたいです、なるほど)。それで、なかなか率直なお話だったのですが、信じられないということですね。よくわからないものを信じることに抵抗がある、無理、信心への超越が起こらない。

これ私もすごく分かります。中学のときに色々とあったんですが、学校で新約聖書配ってたんです。なんかすごくそれに惹かれて、家に帰って読んで、神を信じようとしたんですが、どうしても信じられなくて、どこか抵抗があったんです。

そこからなんですよね。宗教から距離を置いていたんだけども、やっぱりどこかで憧れている部分もあったんでしょうね。前にブログで大学に行ったのは滑り止めって書いたんですけども、滑り止めで宗教勉強しようとは思いませんよ。宗教っていうだけで避けられますもんね。

あまり知られていないように思いますが、実は真宗ってキリスト教とかなり似ているんです。日ユ同祖論なんていうつもりはありませんが、本当に似ていて、宗教学では真宗とキリスト教の比較研究が割とよくあります。過去には、カール・バルトっていうドイツの偉い神学者が「キリスト教と真宗の違いは名前だけ」みたいなことを言っているくらいです。ヨーロッパでは真宗が割と浸透していて、お寺もあるんですよ。

だから、中学ではそういう態度をとったのですが、何だかんだで興味があるんでしょうね。ただ直接的にキリスト教に当たるのはアレだから真宗から回り道したんでしょう。今でも大学卒業して結構時間も経ってるのに、これからまた大学院で研究したいなぁなんて思ってくるくらいですもんね。

でも

私は今でも、なにか信仰心があるわけではないのですが、でもその重要性はよく分かるもので、高村さんもおっしゃってましたけども、東日本大震災で宗派に関係なく、とにかく僧侶にお経を読んで欲しい、ただ祈りたい、というよう感覚というのは非常に分かるものです、共感できます。私も特に見えるわけではないけども、でも見えるというは分かるんです。

前から何度も書いているのですが、現実ってわけわからんのですよ。あまりに不条理。それで、現実を見て、現実に生きている人は、やっぱり何かにすがりたくなるんですって。それはバカだからなのではなく、自分の有限性を理解しているからですよ。

芸術

どうすればいいのか。高村さんの言うように、ただ生きて行くしかないように思います。縁起という言葉も出てきていましたけども、ただただ、そういうもんですよね、表現しようのないものですが。

でもそれでもやっぱり人間というのは、分かっていても苦悩するもので、そしてまた信じることもできないとなったときにどうすればいいのかとなるのですが、私は芸術だと思うんです。

苦悩を共有するというのはなかなか、なんともいいようがないんですが、いいもので、共苦なんて言ったりもしますけども、これのある種の仲介を担っているのが芸術であると思っています。

高村さんはこれについては何も言っていなかったと思いますが、でも小説を書いていらっしゃるわけじゃないですか。そういう(芸術の定義も色々とあるでしょうけども)作品を通して得られるものというのは、ある種の救いであると思っています。