1か月仕事を休んでみて思ったこと

1か月仕事を休んだ

私は自営業で、比較的身勝手に仕事ができるように工夫をしているつもりです(独立したからといって自由になれるわけではありません。何でもかんでも「独立しろ」という人がいますが、ちょっとどうかと思います)。

それであまり仕事をやる気がしなかったので1か月間休んでいました、「休んだ」というよりも「サボった」って感じかもしれませんけども。とりあえず、それの感想です。

ネットで調べてみると意外と1か月くらい仕事をしていない時期を経験している人は多いようです。まあネットなので、実際に経験した人がどれくらいいるのかは分かりませんけども、しかし検索をすれば比較的簡単に見つけられます。

そういった人の感想を見てみると大きく2タイプに分かれるように感じられたのですが、1つは余り余る時間に耐えられないというもの、もう1つは最高みたいな感じです。自由を享受するには不自由を経験しないといけない、という意見があって笑ってしまったのですが、しかし私は後者でした。仕事をしなくてもいいというのは極めて気分が良かったです。

しかし仕事をしないと時間に余裕が生まれるのですが、そうなると人間は考えるようになります(ちなみに鬱になってしまった場合は体を動かすだけでもマシになるそうです)。それで「何で仕事をしないといけないのかな」というのをよく考えていました。

なぜ仕事をしなければならないのか

私は、仕事をしたいとは思っていません。仕事をしている間は苦痛ですし、仕事をしなくてもいい状態というのは楽だからです。

中には「仕事は楽しい、私はやりたくて仕事をやってるんだ」という人がいることも知っています。ただ、仕事が苦痛である私にとってはすごく奇妙な考え方に思えます。やりたくてやってるんだったら無給でもやるのかな?って心底思うんですけども。

今は、私は自営業ですが、前は会社に雇われて働いていました。仕事をしている時に「何でこんなことをやってるんだろうな」みたいなことをずっと思っていて、それを上司(めっちゃ仕事できて、窓際なんですよね。パトレイバーの後藤さんみたいな人でした)と飲んでいる時に相談したら「意味なんかないでしょ」って飄々と言われて、腹が立ったんですよね。

自分でも意味ないと思っているのに腹を立てるというのは、どっかで仕事に意味付けをしようとしていたと思うんですよ。つまり、仕事に意味はないけど仕事はやらなければならないものだから意味のあるものとしておこう、というような態度です。個人的に、仕事をしている大半の人がそういう態度だと思います。

その会社の部長が定年退職するということで送別会を開いたんですけども、そのとき私は出張でいけなかったのですが、部長が「俺は40年間会社に利用されてきただけだ」と言って泣いたんですよね。みんながみんなそうだとは思いませんが、でも多くの人はそういう感じで仕方なく仕事をしてるんじゃないかな、って思っています。

そして仕事、というよりも「ビジネス」の方が合っているような気がするのですが、ビジネスでやっていることというのは、極論ですけども、単なる資源の奪い合いに過ぎません。言い換えれば戦争です。

武器だけが戦争ではありません。武器というのは食糧や領土などの資源を奪うための手段に過ぎないわけで、余計な争いもなく資源を奪えるのであれば、それの方が効率はいいでしょう。資源の量は変わらないのですから、どこかが豊かになったのであれば、どこかが損をしたということです(適切に資源を分配すれば貧富の差なんてなくなると思うんですけども)。

簡単に考えただけでもこれだけ嫌なことがあります。にも関わらず働くのはなぜなのでしょうか。結局はお金を得るため、つまり生活をするため、生きていくため、ということになると思います。では何のために生きていくのか、と考えると答えが見つかりません(中には持っている人もいるはずですが少数だと思います)。

あまりこういうことを言うと良くないそうなのですが、でも私はどうしても考えないと気が済まないんですけども、結局のところ人間は死ぬわけじゃないですか。100%死ぬわけです。

死ぬのが分かっているのに何で生きるんだろう、ましてや生きるためには仕事のような苦痛(他にも病気、老化などなど)を感じることをしなければならなず、さらに誰か(人以外の動物も)の犠牲を必要とします。そこまでして生きるのはなぜなのか。こういう表現の仕方は良くないかもしれませんけども、何となく延命治療に近いものを感じます。

生きたくない≠死にたい

だから私は、生きたくない、と思うことがよくあります。こういうことを言うとだいたい誤解されるのですが、私は死にたいわけではありません。むしろ、なんで死ななければならないんだ、って感じです。

何か知らないけれど気づいたら生まれていて意識も持っていたわけです。そして将来的に死ぬことが分かっていて、しかも死ぬまでの間にはさまざまな苦痛があることも分かっている、その中で生きていかなければならない現実があります。これに納得がいかないんですね。

よくテレビのドキュメンタリーとかで「今までは死にたいと思っていたけど、事故で死に直面して、そのとき私は確かに『死にたくない!』と感じました。だからそれ以降、生きようと決心しました」というようなものを見かけます。これを言うと怒られそうですが、私はそれは違うと思うんです。

実は私自身もそういうのがって、何回か気を失ってるんですよね。医者曰く原因は不明らしいんですが。でも気を失う時って苦しんですよ。そのときにいつも、ドキュメンタリー番組と同じように「死にたくない」って思うんです。苦しんでいる時は「生きたい」ではなくて「死にたくない」が出てくるんです。

これはアニメのエヴァンゲリオンでもありましたよね。アスカが2号機に引きこもっている時に「死ぬのはイヤ」って言って覚醒して、その後に生きる意味を見出してたと思うんですけども。なんかよく分からないですけど、こういう流れがあるみたいです。

それで話が前後するんですが、「生きたくない」というのは「死にたい」ではなく「死にたくない」なんです。多くの人は「死にたくない」の後に「生きたい」へと転換するみたいですが、この「死にたくない」と「生きたい」は似ているけども異なります。生命を維持させたいという点では同じでしょうけども、それへの態度は正反対です。そもそも「死ぬ」の反対は「生きる」ではなくて「生まれる」ですしね。

生命とどう向き合うか

それで、だんだんと話が大きくなってしまうんですけども(笑)、「なぜ生きるか」というのがよく問題になり、私自身それについても考えるのですが、でもそれ以上に私にとって問題となるのが、生命とどう向き合っていくのか、という点です。

色々怒られそうですけども、ハッキリと言ってしまえば、生まれない方が良かったんじゃないか、って話です。「コヘレトの言葉」にも書いてあって結構共感したんですけども、昔の人もそう思ってたんだなぁって。

既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから。

しかし、繰り返しになりますが、既に生まれているのであり、今から生まれないというのは無理です。生きたくないとは言っても、死にたくないので生きていかないといけません。

でもダラダラと生きいくのは違うと思えてきます。シュヴァイツァーは生命への畏敬という考え方を提唱しました。つまり

わたしは、生きようとする生命に取り囲まれた生きようとする生命であるという事実

です。私としては、「生きようとする生命」というよりも、「死にたくない生命」とか「生命を維持しようとしている生命」とかの方がしっくり来るんですけども、まあ細かいことは置いておいて、これは確かに事実でしょう。犠牲を無駄にはできませんよ、何かやらないといけないような気がしてきます。懸命に生きなければなりません。

ただそう考えた時に死というのが問題です。繰り返しになるんですけども、最後は死にます。この歴史上死ななかった人はいないだろうと思うのですが、偉人ですら死んでいるわけです。偉人の死というのは漠然としていますけども、この前(といってももう結構経ちますけど)、大学でお世話になった先生が亡くなられたんですよね。学士院会員にもなられた先生なんですけども、そんなスゴイ人でも死んでしまうんだな、と思うとなんか虚しくなってしまいます。

結局いつも堂々巡りになるんですよね。

人間が最も高度な倫理観を持っているなんてそんなのは単なる妄想に過ぎませんから、たまに他の動物を見て「生命って何なんだろうなぁ」なんて考えたりもするのですが、これにもいろいろな議論があって、個人的に面白かったのは、鉄に向かっている、という説です。まあ確かに物が自ら動くというのは便利かもしれない、なんて思ったり。

そもそも、生と死をどう定義するか、というのも大問題ですよね。特に医療技術が進歩したことで「死とは何か」というのが真剣に議論されるようにもなりました。死が分からんのであれば生も分からんのです。

また、生命(特に人間の)と意識には密接な関係があるように思われますけども、そもそも何で意識なんかあるんだよ、と調べてみると、いやいや意識なんかないよ、幻想だよ、という説も科学的に言われるようになりました。

生命と物質の線引きというのも極めて曖昧ですし、もう何が何やらさっぱりです。こうなってくると、そもそも私なんか生まれていなかったのでは?みたいに解釈して逃げたくもなってしまうのですが、何か違うような気もします。

仕事をしよう

どうしようもないんですけどもね、考えたところで。生まれたのですから真剣に生きなければなりません。生きる以上はシュヴァイツァーの言うように犠牲に頼らざるを得ませんし、真剣に生きないというのは申し訳ないように感じられます。

生きるならお金が必要ですし、お金を得るなら働かなければなりません。1か月サボったおかげでもう貯金はありませんから、また明日からは働きます。この働きが世の中にどう役立っているのか、いやむしろ役に立っていない可能性も大いにあるわけですけども、常に考えて、自分にできる精一杯のことをしたいと思います。

なんだろうな、個人的には切実な問題なんですけども、文字にすると浅いですね…。

1か月ぶりに仕事をした感想
仕事をしなくてもいいなら何をしようか