nancolu

一般人の個人ブログです

「仕事は楽しい!ぜんぜん辛くないよ」

「辛いことなんかない」

ある友達と話していると、ときどき出てきます。「仕事は楽しいよ!辛いことなんかないね」みたいな感じです。私は非常に心配です。友達についてどうこう言いたいわけではないのですが、こういう感じのことを平気で言う人は少なくないと思いますので、これについてちょっと書いておきたいと思います。

まずこれを言うと元も子もないような気がしないでもないのですが、100%楽しい仕事なんかあるわけがないだろ。もし本当にそういうのがあるのであれば、それは仕事ではなくパズルですね。まあそんなことはどうでもいいんですけども。

確かに仕事をしていれば楽しいこともあるでしょう。でも全部が全部楽しいなんてことはないはずです。それにも関わらず「仕事は楽しい、辛いことはないよ」というのはどこかで無理をしているはずです。だからこそこういう人は急に仕事をパタッと辞めていくんです。辛いところも含めて楽しむのであればまだ分かりますが、辛いところが存在しないというのは明らかに変です。

「仕事だるいわ~」とか「上司マジでクソ」とか会うたびに言っている奴もいて、傍から見れば「ちゃんと仕事してるのかコイツは」とか思わないでもないのですが、こういうタイプの方がはるかに健全です。というのも、仕事が持つ辛い部分をキチンと辛いものとして認識しているからです。その分には仕事と上手く付き合うことができているはずです。そもそも会った人間に対して不満を言語化しているのですから、それ自体がある程度のストレス解消にもなっているでしょう。

辛いことはないと思いこもうとするのではなく、辛いことがあることを認めた上で、それに対して何ができるのかを考えた方が結果的には楽ですよ(鬱病なのであれば抱えている問題を直視するのはあまりよくありませんので注意を)。

親にも責任があるのでは?

でもそういう風になってしまうのも分からないではないように思います。だって小さい頃から親に、勉強しなさい、いい学校に行きなさい、そしていい会社に行きなさい、それが幸福なのよ、あなたのためなのよ、と言われ続けてきて、それを忠実に守るのが幸福なのだと思っていたのに、いざ会社に入ればいきなり自分で考えて成果を出せと言われるのです。

幸福なのだと思って耐え忍んできたのに、その会社に入れば残業はあるわ、ノルマはあるわ、上司に罵倒されるわで、そりゃ現実を受け止められませんよ。この辛い現実を辛いものとして認めたならば、では今までの人生は何だったんだってなってしまいます。

でも現実は現実です。現実は変わりません。認めざるを得ないのです。たまに「現実は変えられる」という人もいますが、それは現実と虚構の区別がついていません。虚構はあったりなかったりするものですが、現実はあるのであり、また「私」という存在は現実の中にいるわけです。虚構を見て生きるのはある意味では楽かもしれませんが、それはニンジンを頭にぶら下げられた馬のようなものだと思うんです。

親が虚構を見ているからその子供も虚構を見るのではないでしょうか。つまり親というのは40代後半~60代、そしてその子供であるゆとり世代です。