そもそも仕事って何だろう?―自己表現と表現形式について―

出版社勤務・新聞記者・テレビ記者の人たちと話した感想」にもちょろっと書いたんですが、自分の働き方についてもうちょっと考えた方が良いなぁと思っています。それで何となく就活サイトを眺めていたのですが「あなたにとって仕事とは何ですか?」みたいな問があったので、仕事やそれに近い概念について考えてみました。あくまでも私にとっての仕事観であり、みんながそうすべきだ、というようなものではありません。

仕事は社会に対する自己表現である

仕事を一言で言うならば、社会に対する自己表現であると私は思います。

人間は社会的な生き物であり、一人で生きることはできません。より具体的に言うならば、人間が生きるためには衣食住の3つが最低限必要になりますが、これら全部を一人で獲得・維持・向上させることは不可能であるため分業せざるを得ず、そのために社会に属する必要があるということです(他にも孤独などの精神的な問題もあるかもしれません)。

また社会から何かをしてもらおうとするならば、こちらも社会に対して等価と思われる何かを提供する必要があります。言い換えれば、自分にとって不足しているものを社会から貰う代わりに、社会にとって不足しているものを自分が提供します。

ここで問題となるのが、社会に不足しているものです。社会は実体を持たないため、直接的に語ることはありません。そのため社会に不足しているものというのは自分で考える必要があります。もちろん社会に関するデータを集めれば客観的な視点は得られるかもしれませんが、何をどのように調査するかという時点で既に偏っていますし、データをどのように解釈し、それに対してどう行動するかは主観的な問題になってきます。

つまり、「私としては社会には○○が不足していると考えるから、○○を社会に提供していきたい」という私の考え(自己)があって、それを社会に対して実際に働きかけをしていくこと(表現)、これが仕事です。

職業は表現形式である

それでは「○○を社会に提供したい」はどうすれば実現することができるのでしょうか。仮に「破壊されてしまった環境を良くしたい」という考えを持っているとします。そして、この考えを実現するにはさまざまな方法があることが分かります。

例えば、環境破壊を抑制できるような商品を作る、環境に良い商品を多くの人に使ってもらうために販売する、そもそも何が環境破壊の原因になっているのかを研究する、環境破壊が現実に起きていることを多くの人に伝えるために本を書く、環境破壊が加速すると将来的に危ないことを伝えるために未来の地球の姿を表現した映画を作る、などなど挙げればキリがありません(順番とか色々とぐちゃぐちゃですけども)。

そして、商品を作るのは開発職ですし、商品を売るのは営業職ですし、研究をするのは研究職ですし、本を書くのはライターとか作家ですし、映画を作るのは映画監督とかカメラマンとかですし、つまり自分が持っている考えをどのような形で社会に提示するのかという表現の形式が職業になります。

労働は職業の目的化である

「仕事」という概念によく似たものとして「労働」がありますが、これの違いについて考えてみたいと思います。

仕事というのは、まず自分がこうしたいという考えがあり、それを実現するために職業という表現形式を用いることをいいます。仕事において職業は自分の考えを社会に対して表現するための手段に過ぎません。

一方、労働は職業が目的化しています。労働においては自分の考えがありません。とりあえず何らかの表現形式を持っているから、それでお金を稼ごうというのが労働です。

例えば、仕事として作家という職業を考えるならば「社会に対して伝えたいものがあるから文章を書く」となりますが、労働として考えると「とりあえず文章を書く技術は持っているから、これを使ってお金を稼ごう」となります。

分かりやすく言えば、自分の意思で行うのが仕事で、誰かからやれと言われてやるのが労働です。しかし労働が悪いと言いたいわけではありません、態度に違いがあるということです。

仕事とビジネスとボランティア

ついでなので「仕事」「ビジネス」「ボランティア」についても考えてみたいと思います。これら3つはどれも社会への自己表現というのが共通してあると思いますが(ビジネスはやや異質かも?)、それぞれ異なるものです。それでは何が違うのでしょうか。簡単に言うと、どれだけの資源を得るか、ということです。

仕事は、社会に提供したことと同程度と思われるものを社会から受け取ります。そしてボランティアは社会に提供はするがその対価は期待せず無償です。

問題はビジネスです。一般的にビジネスは仕事の英訳と捉えられているのではないかと思うのですが、やや使われ方が異なるように思います。ビジネスは自分が提供したものよりも多くのものを得ることを期待しているように思われます。

一時期『100円のコーラを1000円で売る方法』というのが流行しましたが、これは典型的なビジネスだと思います。本を読んでいないのにこんなことを言うのは失礼かもしれませんが、こういう売り方は汚いと思いますし、これに疑問を感じない人はちょっと感覚が鈍っているのではないか、とも思います。表面的にはwin-winを装いつつも、実は自分の方が多くを取っている、これがビジネスの本質だろうと思います。言い換えれば資源の奪い合いです。

仕事、ビジネス、ボランティアの資源の分配を簡単に示すとこんな感じです(「自分」と「社会」を並べると規模が違い過ぎるような気がしますが…「客」に置き換えると分かりやすいかもしれません)。

  • 仕事 自分=社会
  • ビジネス 自分>社会
  • ボランティア 自分<社会

よく「お金を稼ぐことは汚いことではない」と言われることがありますが、稼ぎ方にも程度があるのであり、そして「汚くない」という人のそれはたいてい汚いように思われます。

仕事をしていくために

個人的にビジネスは嫌いなので考えないとして、仕事と労働とボランティアですが、この中では仕事が最も大切であるように思います。

ボランティアは良いような感じもするのですが、良い物を提供するにはやはりお金は必要です。ボランティアが悪いわけではありませんが、しかし分野にもよるのかもしれません。また労働というのは、言ってしまえば誰でもできるのであり、そういう意味では仕事の方が価値は高いように思われます(くどいですが労働が悪いわけではありません。誰でもできるとは言っても誰かはやらなければなりませんし必要なことです)。

そして、仕事をしよう、ということになるのですが、仕事をするためには自己というのが確立している必要があります。一部の天才であれば自分からドンドン考えを深めていくことができるでしょうけども、私のような凡人にはそれができません。つまり自己を構築していくためには、自分以外のところから多くを学ばなければならないということです。

最近では大学の必要性が問われるほどになっていますが、私はここにこそ大学の役割があるだろうと思います。「役に立つ」ものというのは、要は「職業」として成り立つものを言っているのでしょうけども、「職業」だけを突き詰めても「労働」にしかなりません。確かに上の命令に従う人間は量産できるでしょうけども、本当に価値があると思われる「仕事」ができる人は育たないでしょう。だからこそ直接的には役に立たない教養やリベラルアーツといったものに、またそれを提供できる大学に価値があるのではないでしょうか。