nancolu

一般人の個人ブログです

社会人になりたくてもなれない人

さっき書いた「コミュニケーション能力ってなんだかなぁ - nancolu」の続きを書いてみたいと思います。就活では「社会人」という言葉もよく問われますが、これの使われ方に若干の違和感があります。

社会人が何かといえば、要は社会というコミュニティに属している人のことです。一般的には就職すれば社会人になると考えられていると思いますが、別に社会人になるために特別な行動が必要になるわけではありません。ではどうすれば社会人になるのかと言えば、特にないんですけども、強いて言うならば「私は社会人だ」と思うことです。つまり意識的な問題です。

会社に就職しなければ社会人ではないという人は多いんですけども、結局のところその人は社会人ではないんですよ。いや社会人かもしれないけども、少なくとも社会に合わそうとしているのは間違いありません。なぜ合わせる必要があるのかというと、合っていないからであって、つまり本当の意味で社会に属しているという自覚がないわけです。

こういう人は社会に対して何かをしなければ社会に属することはできないと考えており、また多くの場合、社会に対して何もできない場合は役に立たないと考えます。だから就活生が就活に失敗すると「ああ、私は役に立たない人間なんだ。こんな人間は生きている価値はないのだ。」という発想に至ります。社会は万人に開かれていますし、生きる価値というのもあったりなかったりするものではなく絶対的なものです。

だから「コミュニケーション能力ってなんだかなぁ - nancolu」にも書いたように、他人を信頼していないわけです。コミュニティって、その構成員はみんな助け合うものでしょう。家族も1つのコミュニティですが、困ってたらみんなで助け合うじゃないですか。その家族が社会になっただけです。その社会に属しているのが社会人です。働くことが社会人なのではない。

でも同時に社会人というのは働こうとするものです。というのも、社会の利益=自分の利益だからです。そのため社会人としての自覚がある人は、社会に対して私は何をすることができるのか、という点について考えます(反対に社会人の自覚がない人は、社会に対して何かをしなければならない、と考えます。意欲という点に関して大きく異なります)。そういう意味で社会人は働くものです。しかしその働くというのは必ずしも就職ではなく、場合によっては家事であったりボランティアであったりします。

また同時に社会人は他人に頼ることができます。それは社会というコミュニティに属しているという明確な自覚があるからこそ、他人を信用し、困った時は頼ることができるのです。

コミュニケーション能力についてもう一度考えたいのですが、コミュニケーション能力を言い出したのは誰なんでしょうね?コミュニケーションを能力だと勘違いしだした世代がいるわけでしょう。核家族化が進んだのと無関係ではないと思うんですよ。その世代はコミュニティを知らないんじゃないですか?(とか言ったら失礼ですけど)その世代に育てられて、さらにその世代から就活でボコボコにされているゆとり世代が不憫でならんのです。