自我の崩壊と再構築 ―大学の意義を簡単に―

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将来が不安、社会には絶望しか感じない、こういったことは誰もが考えることですが、もしかすると価値観が固定化されてしまい、視野が狭くなっている可能性があります。視野を広げ、豊かな人生を送るためには、どうすればよいのでしょうか。そこで自我の崩壊と再構築が重要となります。

なぜ自我の崩壊と再構築が必要なのか

自我というのは多くの場合思春期くらいまでには完成すると言われています。だいたい15歳あたりですね。生まれた時から15歳くらいまでの間に経験したことや学んだことの総合が自我として確立します。また、この自我は手入れをしなければ変化することがありません。

何が言いたいかというと、まともな思考もできない15歳くらいまでの間に経験したことを絶対的なものとみなしてしまうがゆえに、そのまま放置すればかなり狭い視野の中で生活していかなければならないことになります。

例えば、15歳くらいまでの間に、世の中はお金だ、いい学校に行っていい会社に入ってお金を稼ぐのがよい人生だ、と親や教師などから教育され続ければ、それを正しい人生として今後を生きることになります。

極端な話、就活に失敗して大手企業に入れなかったから人生終了だ、みたいな思考になりかねません。

大手企業に入ったとしても、残業が多く自由がない場合や、仕事でミスが続いてしまったりした場合には、自殺という発想が生まれることもあるでしょう。その際に「会社辞めたらいいじゃん」と言われても、徹底的に否定することでしょう。

こういったことを避けるためにも、自分の持っている価値観に気づき、またその価値観は絶対的なものではないことを、そして他にもたくさんの価値観があってもよいことも知ることで、視野が広がり選択の幅が生まれます。結果的に「豊かな人生」(もちろん定義は人それぞれですが)というものが得られる可能性があります。

人間は合理的な決断を下さない

自我の崩壊が重要だ、とは言っても、やはり多くの人は自分の価値観が絶対的なものであり、またその価値観に基づいて合理的な判断ができている、と考えがちです。そこで、人間は必ずしも合理的な判断を下すわけではないことの例を紹介します。

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これはツェルナー錯視という有名な眼の錯覚の画像です(ちなみにパブリックドメインです)。4本の長い横線が縦に配置され、その4本の線それぞれに斜めの線が入っています。4本の線は平行なのに斜めに見える、というものですね。

不思議なのは4本が平行だと分かっていても斜めに見えることです。このように、脳は意外と雑な処理をしていることが分かります。なぜこのような雑な処理をするのかというと、脳の負担を減らすため、要は楽をするためです。脳を働かすには大量のエネルギーを消費するので、それを抑えるためにわざと手を抜いて処理をしています。

この、脳が楽な処理をすることは日常的な選択や決断においても発生しています。

朝何時に起きるか、朝何を食べるか、何時に家を出るか、どの道を歩くか、どの電車のどの車両のどこに座るか、会社で何をするか、誰としゃべるか、…

などなど例を挙げればキリがないのですが、日常生活には選択しなければならないことが山積みであり、いちいち考えるわけにはいきません。だから脳は楽をして考えないようにします。

多くの人は何かを選択する時に合理的な判断をしていると考える傾向があるのですが、実は合理的ではなく、脳にとっていかに楽であるか、が最優先されます。その際に自我というが出てきます。今までの経験ではこうだったからこれからも今まで通りでいいだろう、ということです。

だからこそ自我を崩壊させ、新たな自我を再構築しなければなりません。

自我の崩壊をする方法

それでは自我を崩壊させるにはどうすればよいのでしょうか。一言で言うならば、様々な価値観に触れることです。

年の離れた人と話してみる。日本にずっと住んでいたのであれば海外に行ってみる。専門外のことをやってみる。などが具体的な方法として挙げられます。

しかしこのようなことをいちいちやるのは面倒でしょう。そこで読書、より具体的に言うならば、古典を読むことが効果的です。古今東西のあらゆる価値観に触れることができるので、多くの発見が得られます。

このように、自分が今までに経験したことがないような価値観に触れることで、自分の価値観が絶対的ではないことが分かるようになり、自我の崩壊が行えます。

また自我の再構築ですが、これについては特に意識する必要はありません。自我を壊せば自ずと新たな自我が生まれます。水泳の息継ぎの際、息を「パッ」と出すことだけを意識すれば勝手に呼吸ができているようなものです。

大学の意義

また以上で紹介した自我の崩壊を行うのに大学は最適な環境であると言えます。最近では役に立たない文学などは排除しよう、というような動きもあるようですが、そもそも大学とは研究機関であり、教養機関です。

建学の精神を見れば明らかですが、大学が目指しているのは良い人格形成であり、良い社会人ではありません。

また良い人格という土壌、基礎を持つからこそ、その上に確固たるものが築けるのです。狭い視野からイノベーションが生まれることはないでしょう。

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