シュヴァイツァーの生命への畏敬という考え方

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別に特に信仰心はないのですが(しいて言うならば無宗教教みたいな?)、大学では宗教学を勉強していて、社会人になった今でもたまに勉強しているのですが、改めてシュヴァイツァーの生命への畏敬という考え方はすごいなぁと感じました。

シュヴァイツァー

シュヴァイツァーはドイツ系の神学者、医者、オルガニストです。出身はカイザースベルクなのですが、ドイツとフランスの国境線で、当時はドイツ、今はフランスになるため、その生涯においてもややこしいところがあるのですが、その辺は「アルベルト・シュヴァイツァー - Wikipedia」が詳しいでしょう。

細かいことは置いといて(大切なんですが…)、シュヴァイツァーはノーベル平和賞も受賞しているので、宗教とか関係なく知っている人も多いのではないかなぁ、とは思います。

生命への畏敬

そんなシュヴァイツァーで一番有名なのは、生命への畏敬だと思うのですが、改めて読んでみるとなかなかすごいことを言っているな、と感じます。

『わが生活と思想より』に出てくるんですが、生命への畏敬を簡単に言うと、

わたしは、生きようとする生命に取り囲まれた生きようとする生命であるという事実

ということになります。

これは、私たちは生きているわけですけども、周りの動物たちも同じように生きているわけです。そしてその生き物すべてが生きようとしているわけですね。その点では、価値ある生命や無価値の生命というものはなくて、どんな生命であっても価値は同じです。

またどんな生き物であれ、他の生き物の犠牲なしには生きることはできません。「私」というのはまさに他の生物によって成り立っているのであり、自分の中に他の生命を体験することができるわけです。

これは、私にとってはすごいことを言っているように感じられます。「私」というのを独立して考えるのではなく、他の生命との関係性において捉えるというのは、今の時代には特に重要ではないでしょうか。

もちろん、この生命への畏敬には批判も多くあるわけです。どんな生命の価値も同じであるならば、人間とハエのような害虫と呼ばれるようなものにも差がなくなることになります。

しかし、そういった人間中心主義のように、もっと言えば自己中心主義のように、自分が最も価値があり偉いのだ、という態度が、またそのぶつかり合いが争いを引き起こしているのであり、生命を同価値と捉え、人間中心・自分中心の考えを捨てることは「平和」という概念を考える上で極めて重要なことです。

日本や東洋の思想に近い?

この生命への畏敬という考え方は日本人にはあまり違和感のない考え方ではないかと思います。というのも、日本や東洋の思想に割と近いところがあるからです。

他の生命が自分の中にあり、また、自分の生命がいずれは他の生命につながる、というのは、どことなく輪廻思想に似ています。インドでは今でも輪廻思想が強く残っている地域もあるのですが、ハエですら「もしかすると先祖かもしれないからね」というような感じで殺さないこともあるくらいです。

確かに輪廻思想なんか現代の科学の前では役に立たない、という考え方もできるでしょう。でも、分子レベルまで考えるならば、自分の体は他の生物からの生まれ変わりであり、将来的に自分が死んだらその体は分解されて別の生命に生まれ変わると考えることだってできます。

また仏教では仏性は植物にも宿ると考えますし、これは神道のようなアニミズムにも言えるでしょう。

日本にはもともと生命の畏敬に近い考え方が昔からあったと考えることもできますが、しかし現代社会は西洋の影響を強く受けているので、今一度、このような視点を振り返ることは無駄ではないだろうと思います。

(ちなみに一神教が暴力的だと言っているのではありません。たまに偉い学者でも「一神教は暴力的だから多神教の方が素晴らしい」みたいなことを言うことがあるのですが、多神教でも暴力性や排他性というのはあるのであって、私にはエスノセントリズムに見えます)

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