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一般人の個人ブログです

倫理の欠如は自己中心性から生まれる

職業倫理を持たぬ人たち

この記事はいろいろと問題があるような気もしますけども、まあいいや。とりあえず、倫理観の感じられない人がなぜいるのかについて書いてみたいです。

自己中

一言で言えば、自己中が原因だと思います。

なぜ自己中になるのか

自己中というと、人間個別の性格的なものとして考えられることが多いと思うのですが、私は背景に構造的な問題があるような気がしています。前からこのブログで書いているのですが、どうも現実を捉えることができない人がいるようです。

ゲームやSNSに関する言説から考えるとわかりやすいです。たとえば、暴力的なゲームをすることについて「私はリアルとバーチャルを分けることができるから、まったく問題ない」というような、「リアルとSNSはまったく別物、人格を変えていることもある」というような、そういった類のものです。ここからわかるのは、現実と虚構は並列の関係であり、完全に分離できるものと考えられているということです。

しかし、実際には、現実と虚構を明確に区別することはできません。というのも、虚構は現実の中に存在しているからです。たとえば、ゲーム機やスマホの中で展開されているものは虚構ですが、そのゲーム機やスマホはどこにあるのかというと、現実です。虚構は現実に包括されるものなのです。

逆説的ですが、「現実と虚構を区別できる」と言う人は、現実と虚構を分離することができると考えるがゆえに現実を捉えることができていません。反対に「現実と虚構の区別がつかない」と言う人は、現実と虚構の関係性を理解しているので現実を捉えているといえます。

現実と虚構の区別がつく、つまり現実を捉えることができていないとどうなるかというと、物事を単純化するようになります。現実とは客観のことです。現実を認識できないのであれば、同時に客観の捉え方もおかしくなります。そして、主観の捉え方もおかしくなります。決して主観がないわけではないのですが、主観を主観として認識できなくなります。つまり、客観と主観の区別できない状態に陥ります。この状態を的確に表現しているのがセカイ系と呼ばれる作品ジャンルで、個人的な事柄が世界の在り方に影響を与えるというものです。最近では『君の名は。』が有名だと思いますが、これは瀧と三葉の極めて個人的な関係が街の消滅という世界の在り方に影響を与えています。実際には、現実を動かしているのは自分だけでなく、いろいろな要素から成り立っているのですが、現実を捉えることができないため、このような複雑性に耐えることができません。自分の視点だけで現実を認識しようとするため(またそれを客観的だと考えている)、他人の視点を取り入れることもできなくなります。

よって、自己中になります。注意しなければならないのが、自己中と利己主義の違いです。この2つは似ていますが、明確に異なるものです。利己主義は「これをしたら困る人が出るだろうけども、自分は得をする」という考え方であり、自己中は「これをしたら自分が得をする」という考え方です。つまり、利己主義は他人の視点を意識しているのに対し、自己中は他人の視点が完全に欠如しています。他人の視点について考えることができません。世界には自分しか存在しない、それが自己中です。そのため、自己中は純粋であることが多いです。悪気があってやっていることは、おそらく稀でしょう。だからこそ厄介でもあるのですが。(利己主義も倫理観が欠如することはあるでしょうが、「困る人がいる」と思えるだけまだマシだと思います)

現実と虚構

虚構が悪いのではありません。人間は虚構との関係を持つことでここまで発展することができました。虚構にもいろいろなものがあるのですが、代表的なものは宗教や芸術でしょう。ただ、こういった虚構は常に現実を意識しています。現実で辛いことがあっても、虚構からカタルシスを得て、それを現実に生かし、現実を生きました。

しかし、現代の虚構は性質が異なります。「現実と虚構は区別できる」という言説のように、現実と虚構は完全に分断されています。現実のための虚構ではなく、現実逃避としての虚構になりました。現実と虚構は区別できると考える人は、現実で辛いことがあったら虚構に引きこもり、現実をなかったことにします。実際には、その虚構は現実の中にあるのに。

現実と虚構が関連している人は、マンガやアニメなどのサブカルに対して「リアリティがない」と言って嫌います。虚構は現実のためにあると考えるからです。そして、現実と虚構が分断されている人はサブカルにリアリティがないことを良しとします。現実逃避にリアルはむしろ邪魔であるからです。この差は非常に大きいものだと思います。

教育とメディア

自己中になるのは構造的な問題と書きましたが、それは教育とメディアです。教育は教育でまた難しいのですが、私はメディアの発達には恐ろしいものを感じます。特にネットです。テレビが与えた影響も計り知れませんが、ネットはそれ以上です。ネットとの付き合い方は本当にしっかりと考えるべきだと思います。

また、あまり接点を感じられない人が多いかもしれませんが、私は宗教の観点からネットについて考えた方がいいと思っています。現実と虚構の関係性についてこの両者は対照的なのですが、基本的な構造は似ていると思うので、何らかの成果が得られるんじゃないかなと感じています。