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「楽をしたい」と「世界と私ってなんだ?」

この記事にはまとまりがありません。まとめようとも思っていません。

私の2つの欲求

どうも私には「楽をしたい」という欲求と、「世界とその世界にいる私について知りたい」という欲求の2つがあるようです。全然違うような欲求ですけども、でもよくよく考えれば私にとっては同じようなものなのかもしれません。

楽をしたい

楽をしたいというのは、人生は辛く苦しいものであるから、そこから楽になりたいということです。たまに誤解されている方がいるのですが、「楽」と「堕落」は異なります。私は堕落をしたいわけではなく、楽をしたいわけです。まあ私の言う楽は傍から見れば堕落なのかもしれませんけども。

ただこの楽というのはなかなか難しいもので、昔は楽=幸福みたいなところがありました。お金があって家があって働かなくても良くて、とか何かそういうのです。そのうち楽というのはストレスのない状態だと思って、実際にほぼストレスが0の状態を維持できていた思われる時期を経験したんですが、これがなかなかヤバくてですね、ストレス0は楽ではないと気付きました。

それで辿り着いたのが、ストレスのある状態とない状態の連続が楽であるということです。つまり常にストレス0ではなくて、総合的に見てストレス0が良いわけです。またストレスを溜め込んで一気に解放するのではなく、あるとないをいい感じに切り替えるのが良いみたいです。

ちなみにストレスと言うとネガティブなイメージが付きまといます。例えば仕事で上司にめっちゃ怒られたとかそういうのです。しかしストレスに価値判断は伴わず、心の状態の変化程度のものです。なので、結婚して嬉しい!というのもストレスです。

とは言っても人間は解釈をして価値判断を下しますから、完全にストレスを純粋な心の変化として捉えるのは困難です。そこで、仮にいいストレス(幸福)と悪いストレス(苦)があるとして、幸福を+、苦を-として、これを行ったり来たりすることで0を目指すのが良いだろうと思います。そしてこれを上手いことできている状態が楽です。

なので私の言う楽とは、仕事をしないことではありません、いつも寝てばかりいることではありません、毎日ゲームをし続けることでもありません。私の楽は苦を否定(実際には否定ではないのですがこれを表現する言葉を私は知りません)するものの、幸福をも否定(同じく)するものです。

世界と私ってなんだ?

たぶんこの疑問を抱いたのは映画『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』の影響があるように思います。初めて見たのは小学生の時で、ミュウツーがアイデンティティに苦しんでいるわけですが、さすがにアイデンティティのような難しいことは当時わかりませんでしたけども、「確かに私ってなんだろう」という疑問は抱いていたような気がします。私を問うなら必然的に世界についても問うことになりますね。

出発点は違うけど

この2つはまったく出発点が異なります。楽をしたいというのは中学のときでした。小学生の時はまだ人生は苦しいみたいなことは思ってませんでしたね。むしろ小学生のときはリア充でした、うへへ(*'ω'*)みたいな生活でした。ただ私というのは小学生からの疑問でした。

でも中学で苦を意識しだしてから、私というのもものすごい謎になるんですね。この苦しんでいる私は何なんだ、この苦しみに満ちている世界は何なんだ、というような。それで楽をしたいならどうすべきなのか?世界について知るべきだ、みたいになります。でも苦をなくすためだけに世界や私について知りたいわけではなく、純粋な疑問としても世界や私を知りたいわけで、この辺がごちゃごちゃとしている時が今でもあります。

強い繋がりがあるけども、同時に分断もしていて、私の中では気持ち悪いところがあり、どうせなら統合して1つの欲求、疑問にしたいなぁと思わないでもないです。

単純と複雑

欲求や疑問として統合するのではなくて、在り方として統合できないかなと思ったり。私は楽をするために、というか今まで楽というのを考えるにあたって、かなり単純になっています。例えば、外出するときは常にスーツ(私服を持ってない)、飲み物は水かブラックコーヒー、食べ物も単一的なもの、自分の部屋には必要なものしかなく傍から見れば独房のような状態、という感じで極めて単純です(そのためにミニマリストとか言われることがあるのですが、これは本当にやめてほしい、一緒にしないでほしいですね。意識高い系と呼ばれる方がまだマシ)。

そしてこの世界とそこにいると思われる私についてですが、これは言うまでもなく極めて複雑多様で、つかみどころがないほどです。ていうか人類はまだ世界を理解できていません。自己についても完全に理解している人はいないのではないかと思います(主観的な部分なのでわかりませんけども)。これをやろうとすると複雑です。

というわけで単純と複雑という構図があります。で、単純であれば複雑を理解しやすくなります。いつも単純だと複雑性に触れた時に何が複雑なのかが目立つわけです。逆に複雑から単純に戻ると、この単純さというのが極めて心地の良いものになります。

これってストレスの+と-じゃね?これ繰り返せば0じゃね?と思ったんですが、結局、であるならば何をしたいんだ…。やっぱり楽に重きがあるんかな??ていうか単純な私と複雑な私があるんかね。