人はパンのみにて生きるにあらずとは言うけれど

人はパンのみにて生きるにあらず

人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る1つ1つの言葉で生きる

マタイによる福音書4章4節の有名なやつですが、これが大学になると後半が教養のようなものになるんだと思います。教養、リベラルアーツ、自分からの自由、そのための研究、まあ難しいことはよく分からないんですけども、ただ生きているだけではダメで真理というのが必要なのだろうと思います。

私としては生きて行くうえでの苦悩とやりあっていくためには研究が必要なんじゃないのかなぁ、と思っているんですけども、忘れがちだけでもパンって大事だよねっていう。真理が大事なのは言うまでもないことだけど、その真理探究のためには生きている必要があるのであって、そのためにはパンがなければなりません。

パンは現代風に言えばお金とかになるんでしょうか。大学で言えばパトロンというか。アメリカの大学の場合はまた話が違うでしょうけども、ドイツを中心とする大学では、まさにそういうものから自由でなくてはならないわけで、だからこそパトロンが必要になるわけですが、パトロンはそういうものにならざるを得ないっていう。

パトロンがいるのであればまだ良いような気もするんですが、お金というのはどうすればいいんですかね?研究するなら、大学の授業料は必要だし、その間の生活費も必要だし。まあ働けばいいのでしょうけども、働けば研究する時間はないし…。研究に最適化した形の働き方っていうのがあればいいんですが、何があるんでしょうね。やっぱり教育ですか。そういう場に立てない場合は塾講師とかになるんですかね?そういえば某哲学者は「塾なんか何の役に立たんだ、親は何を考えてるのか」みたいなことを言っていたような気がします。しかし塾に限らずたいていのサービスはそういうものだと思います。

困ったなぁ…。これはどうすればいいんでしょうかね?非常勤講師の雇い止めとかも割と大きな問題になってますもんね。まあ私は頭が悪いので非常勤講師の職を得られるかどうかも分からないんですけども(まだ大学院にも行ってないんですが)、何か持っておいた方がいいですよね。一応私の場合はライターじみたことをやってはいますけども、そんな収入があるわけではありませんし、今後も続けられるかといったら怪しいですからね。

ライターで思い出しましたけども、なんだろうなぁ、記事というか案件のレベルが下がってきたような気がしますね。違うんですよ、記事を書くのが簡単になったというのではなくて、記事で扱う事柄がなんか幼稚になってきたように思うんですよね。こんなところまで説明しなくちゃならんのか、みたいなのがあるんです。これは、何というか、どこに向かってるんだろうな…。

某脳科学者が、知への興味の無さに絶望する、みたいなことを言っていたような気がします。私自身そんな頭が良いわけではないので、私もそれに該当してしまうのかもしれませんけども、そんな私ですら確かにバズワードがかなり好まれるようになってきたな、という実感があります。

ここ最近、というか、いわゆるゆとり世代からデキる人とできない人の差が大きくなって、ほどほどにできる人(中間)がなくなってきたように思います。といっても私も平成4年生まれのゆとり世代なんですけどもね。だから案件ができない人向けのものに偏ってきているのかな。まあそもそもデキる人はまともな本を読んでいると思うんですけども。

生産者というのは、商品が売れないと生き残れないためにお客さんに適したものを作って販売します。お客さんが、言い方は悪いですけども、レベルが低いのであれば、商品もレベルの低いものになる傾向があります。良い物を作っても分からないわけですからね。もっと言えば、彼らは価値基準を他人に委ねていますから、みんなが良いというものを良いと判断するために、結局のところバズりやすいものになってしまうわけですから、商品そのものに力を入れるのではなくて、マーケティングなど、商品の周辺にお金がかけられる傾向があり、極端な話、商品はなくてもマーケティングが上手くいけば売れることもあります。ミニマリストとかYouTuberとかね。

いやー、何とも言えない。パンが欲しいです。適切な形でパンが欲しいです。