nancolu

一般人の個人ブログです

ネットでは当たり前の情報は省かれることが多い



前提が書かれていない情報

自分のブログを読み直していてちょっと反省しているのですが、前提を省いている記事が非常に多いと感じました。また、これは私だけのことではなく、他の色々なサイトでも同じことが言えるだろうとも感じています(もちろん他がそうしているから、なんて言うつもりはないんですけども)。

ネットでは割とラディカルな意見が多くなる傾向があります。例えば、会社に雇用されて働くのが一般的であると思いますが、ネットには「まだ会社で働いてるの?」みたいなのが多いです。このブログははてなブログを使っていますけども、プロブロガーなんていう肩書の人は、よく「ブログで楽に暮らせるよ」みたいなことを言っていますね。

そういう分かりやすいのであればまだいいのですが、私がこの前書いた「千利休とキリスト教の決定的な違い - nancolu」なんかは分かりにくいだろうと(後から)思いました。この記事で言いたかったのは、千利休とキリスト教には決定的な違いがある、ということなのですが、それを理解するためには前提として千利休とキリスト教に類似点があることを知っていなければなりません。この前提がなければ「ふーん」で終わってしまう可能性が非常に高いです。

ネットは誰でも見ることができる

問題は、誰でも情報にアクセスできることです。多くの場合、記事を書いている人は、自分と同じレベルか、多少自分よりも低いレベルの人を、意識的であれ無意識的であれ、対象としていることが多いです。

ただネットというのは本当に誰でも見れるもので、例えば小学生でもその情報に触れることが可能です。

また知識(情報)の習得には段階があるもので、例えば、小学校では、足し算引き算を生徒に理解させてから掛け算や割り算を教えますが、このように段階を踏まなければ適切に知識を習得することができません。

ネットというのは、その段階を無視させてしまう可能性が極めて高く、これについてはかなりの程度注意する必要があるだろうと思います。大人であれば「この情報は自分にはまだ早いな」と判断することもできるでしょうけども、小学生のようなまだ十分に判断できない段階では、ネットはあまりよくないように感じます。

文字を使う以上仕方がないけど…

そもそも文字というのが何等かの前提を要求するものであるので、仕方がないと言えばその通りなのですが、しかし筆者からして当たり前だろと思うようなことでも、本当に当たり前と言えるのか一度考えてみた方がいいのかもしれません。

でもあまりにも説明を加えたら冗長になるし、逆に分かりにくくなるから、バランスが難しいですね。

しかし、体系的に理解したいならそもそもネットではなくて本を読むべきだし、ネットを使うこと自体が間違っていると言えなくもないけども、それはそれで極端ですもんね。うーん…