ミニマリストへの違和感と無駄なモノを捨てるコツ

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ミニマリストへの違和感

最近はあまり聞かなくなりましたが、ミニマリストという概念に非常に違和感があります。ミニマリストは、無駄なモノを省いて最小限のモノだけで暮らして幸せを実現する、というような考え方を持った人のことだと私は認識しています。

そしてこれは極めて当然のことのように思われます。なぜわざわざ無駄なモノを所有する必要があるのでしょうか、無駄なモノを持たないというのは当たり前のことなのではないでしょうか。それをわざわざ「ミニマリスト」と名付けることに何の意味があるのでしょうか。またそれの実践は何を意味しているのでしょうか。この辺のことがよく分かりません。

ミニマリストは、モノが少ないと幸せになれる、という考え方があると思うのですが、これは逆説的ですけども、モノが多いと幸せになれる、というのと本質的な部分では変わりません(そもそもモノの量だけで幸福は測れません)。

私は業界の人間ではないので詳しいことは分かりませんが、これは明らかに商品でしょう。流行語大賞にもノミネートされていましたが、「された」というよりも「させた」といった方が正しいようにも思われてしまいます。

繰り返しになりますが、無駄なモノは持たない、というのは普通の、ごく当たり前のことだと思います。

また、無駄なモノを捨てられない人がいるのは事実ですが、多くの場合は2つに分けられると思います。まずは単なる怠惰である場合。これは習慣の問題でしょう。もう一つは病的なもの。例えばアスペルガーではモノの管理ができないことがあるようです。

個人的に「ちょっと…」と感じること

私は別に無駄なモノが捨てられないことはそれほど問題ではないと感じています。怠惰なだけならちょっと意識を変えるだけでいいです。病的なものに関しては私は素人なので何とも言えないのですが、その場合でもモノが捨てられないことは問題の本質ではないはずです。

個人的に、ちょっとなぁ、と感じるのは、自分にとっての無駄なモノを理解できていない場合です。つまり、無駄なモノを捨てられないのではなく、そもそも無駄なモノがない状態です。部屋にあるモノを「無駄なもの」と認識していないのですから、捨てられないのは当然でしょう。

「無駄」というのは価値判断であって、何が無駄であるのかは人によって異なります。例えば、日本の文化を大切にしている人にとっては着物は重要なものかもしれませんが、効率を重視するような人にとっては着物は邪魔なものに感じられるかもしれません。このように、同じモノであっても人によって考え方が異なります。

また、この「無駄」というのを明確に設定するためには、前提として、何が無駄であるのかを判断するための価値基準が必要になります。そしてこの価値基準というのは、自己やアイデンティティといったものと密接なつながりがあります。

ミニマリストは自己が曖昧?

つまり何が言いたいかというと、ミニマリストを名乗る人や、ミニマリストになろうとする人は、自己やアイデンティティといったものが曖昧になのではないか、ということです。

「モノを持たない」という特殊性(特殊でも何でもないんですけど)を持っている自分、というのを「ミニマリスト」という言葉で演出しているように、私には感じられます(でもその特殊性は流行しているのであって、個性的でありつつも周りと合っていたい、というのは日本的ですね)。

そしてモノを捨てるコツですが、これは自己を作って、自分なりの価値基準を持つことです。何が無駄であるかは自分にしか分からず、他人にはどうしようもありません。ここには主体性が必要です。

もしかすると、ミニマリストやミニマリストを目指す人は本当の意味で何も持っていないのかもしれません。

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