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京都人の発言は本当?それとも嫌味?



京都人の発言は陰湿で恐ろしい、みたいなことがよく言われます。例えば、「ピアノお上手ですね」は本当は「ピアノうるさいんだけど、静かにしてくれない?」と表すといったものです。こういうのは2010年あたりから急激に言われるようになったような気が私はするのですが、気のせいでしょうか。もし気のせいでないのであれば、最近よく言われるAI思考、記号的な思考が関係しているように思えます。つまり、文脈を無視してしまうということです。

「ピアノお上手ですね」はあまり例として適切でないようにも思いますが、「ピアノお上手ですね」だけを切り取れば、ピアノを弾く技術を褒めているように解釈できます。それに加えて、京都人のそれは「ピアノがうるさい」を意味するという解説が入れば、なんだそれは?どっちなんだ?と意外性があって、ある種の面白みが出てきます。

ただ、実際に「ピアノお上手ですね」と言うことはまずないと思いますが、本当に「うるさいからやめろ」の意味で「ピアノお上手ですね」と言ったのであれば、そこには必ずそう発言するだけでの理由、背景があるのであって、それが文脈であるわけですけども、ネットの言説はこれを無視しています。あるいは考えることができないのかもしれません。

別に解釈に幅がある発言というのは京都人だけでなく、日本人であれば誰でもやっているものです。例えば、「いいです」は肯定でも否定でも取れるでしょう。「いいです」という言葉を記号としてみれば、その意味については何とも言えません。しかし、実際に使われる現場を想像すれば、笑顔が伴う明るいトーンで「いいです」と発言すれば、おそらくそれは肯定を意味するでしょうし、毎回しつこく何度も誘っているという背景がありムスっとした感じでの「いいです」であればおそらく否定でしょう。

文脈を無視して、発言だけを切り取り、記号的に解釈すると訳が分からなくなるのは当然です。文脈と合わせて解釈するのが普通でしょう(あえて「普通」といいますけども)。ただ、それができない人もいるようで、文脈が分からないと、ほかのわかりやすいものを頼る傾向が出てきます。典型的なのはビジュアルです。以前、ギャル文字というのが流行りました。これは文字を装飾しているわけですが、なぜそうする必要があるのかというと、文字だけでは意味をくみ取れないからです。当時はケータイメールが流行っていましたが、ここでは文字情報しか使うことができません。普段当たり前のようにしている「おはよう」という挨拶がメールでは固く見えてしまうわけです。「おはよう、別に怒ってるわけじゃないよ」と説明を加えるのも変。そこで文字そのものを装飾して明るく見せるようになります。普通の人はメール以外の普段のやり取りという文脈の中からメールの文字を読んで解釈するため、いちいち装飾する必要がありません。しかし、文脈が読めないのですから、文字以外の情報を付け足さざるを得ないわけです。ちなみに、このビジュアルというのはギャル文字が廃れた現在でも、顔文字という形で使われています(^^)/

では、京都人の発言を文脈を無視して理解しようとした場合、どうなるでしょうか。何が分かりやすい指標となるのでしょうか。私は、それは「京都」というイメージではないかと思います。京都は陰湿である、はんなりしているから直接には表現しない、こういったイメージが独り歩きしているのではないでしょうか。京都は日本の文化を担う都市であり、みんなのあこがれでもある。でも、実際に京都に触れるのは修学旅行の2,3日程度に過ぎない。ここに京都の実像よりも虚像が増殖する仕組みがあるように感じられます。

日本で一番お寺が多いのは京都であると思われがちですが、それは違います。京都は伝統に満ちていると言われ、それにちなんだ飲食店(例えば抹茶を使っているなど)が数多くあったりもしますが、実際に伝統をしっかりと継承しているところはそんなに多いことはなく、京都っぽく見せているところが多かったりします。確かに京都には素晴らしいものがたくさんありますが、京都が日本文化の代表といえるほどの存在であるのかについては何とも言えないように思います。京都とは何なのでしょうか?売れるために塗り固めた言説だけで成り立っているのでは?その言説が独り歩きし、さらなる虚像を生み出しているのでは?

実際のところ、京都は陰湿であるみたいなことは他の地域との比較において昔からあったんだろうと思いますが、しかし京都を取り巻く言説には現代特有のものが感じられます。京都のそれについてはまだ笑い話で片付けられるところもあるのですが、これが他のもの(たとえば宗教とか政治とか民族とか)で同じようなことが起これば、非常に厄介だろうなと感じました。

さて、京都人の発言は額面通りに受け取っていいのか、それとも嫌味であるのか。どちらでもありません。その疑問が起こる原因は、京都人との関係性が築けていないからです。そして、それは、京都人に限ったことではありません。