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必ずしも虚構が悪いわけではない

ここ最近、虚構について色々と書いたように思うんですが、別に虚構が悪いものだと思っているわけではないので、それについて簡単に書いておきたいと思います。虚構そのものよりも、虚構との接し方や在り方の問題というかな。

例えばフィクションの小説というのは虚構ですよね。現実に色々な不条理とかがあって、イヤになって、小説、虚構に頼るわけです。小説に描かれるのはかなり特殊なことです。主人公が平気で人を殺したりしているわけですよ。普通こんなのに共感できるわけがありません。

しかしあくまでもそれは虚構であって、特殊なことを虚構として表現するからこそ、そこに普遍性が生まれて、主人公に自分を重ねて解釈し、共感やカタルシスを得るわけです。また現実と虚構の区別がついている人は、このような虚構に触れることで癒され、今までイヤなことがあったけどもうちょっと頑張ってみようと現実に戻ります。こういう虚構との接し方や在り方は良いと思います。

反対に悪い虚構ですが、これは現実と関係がないんです。良い虚構は現実があってそれに対して虚構が作られるんですけども、悪い虚構は独立した形で虚構があるんです(あるいは虚構が現実に先行してしまっている)。だから現実との関係が完全に分断されているんですね。こういう悪い虚構を好む人は現実と虚構の区別がついていません。現実と虚構はまったくの別物だと考えている点では現実と虚構の区別がついていると言えるのですが、こういう人はそもそも現実を正しく認識できていないという点で現実と虚構の区別がついていないのです。

現実と虚構の区別がついていない人は、SNSについて喋らすとすぐに見分けることができます。彼らはそれぞれのSNSアカウントと並列する形で現実があると考えます。Twitterのアカウント、Facebookのアカウント、LINEのアカウント、他にもゲームのアカウントなどなどの複数の虚構の世界観があって、それと同じ1つの世界観として現実があります。現実とそれぞれの虚構の世界観はまったく別のものであると考える点で現実と虚構の区別がついていません。

現実と虚構の区別がついている人は、現実という唯一の中に包括される形で虚構があります。スマホを覗けばSNSという虚構にアクセスできますが、そのスマホというのはこの現実にあるのであって、つまり現実という枠組みの中に虚構があるということです。このように考える人は、現実と虚構の境界線が曖昧なのですが、現実を正しく認識している点で現実と虚構の区別がついているのです。

それでちょうど、フォーブスがモンスターハンターワールドに関する批判的な記事を出して(罪のない動物を攻撃するのはかわいそう、みたいな内容)、それに対して2ちゃん(5ちゃんか)が現実とゲームの区別がつかない人はやらない方が良い、というコメントが案の定出ていました。これこそ現実と虚構の区別がついていない状態です。

ゲーム内で展開されるそれは確かに虚構ですが、ディスプレイにゲームが展開されているのはまさに現実です。その意味で現実と虚構の区別は曖昧です。そしてだからこそ現実で起きる不条理に対するストレスや鬱憤をゲームという虚構で晴らすわけです。そう考えれば批判が出るのもよく理解できます、というのも他にも手段はあるからです(でも同じようなことが小説でもあるんですけどね。やっぱりゲームは自分で操作するという部分が強調されやすいのだろうと思います)。

そして現実と虚構の区別がついていない人、つまりここでは2ちゃんの現実とゲームを明確に区別できるという認識は、ゲームという虚構が虚構として独立している状態です。現実との関わりが断たれているわけです。

モンハンのようなゲームがあるから現実で残酷な事件が起こるのではありません。またそういったゲームがあること自体が問題なのではありません。虚構を現実と結びつけて考えることができないがために、現実で起きる不条理からのストレスを虚構で晴らすことができないのが問題なのです。