nancolu

一般人の個人ブログです

広告があるから人は生きていける?

なんか毎回毎回失礼なことを書いているような気がするんですけども、あまり気にしないで書きたいことはどんどん書いていきたいと思います。

タイトルのことを言いたいわけですが、どう言えばいいんだろうな、広告という虚構がある種の宗教のような役割を果たしているおかげで、生きていられる人がいるんじゃないか、みたいな感じです。

個人的に資本主義ってあまり好きではなくて、それなりにうまいこといっているようだけども、だからといって資本主義が絶対的な正解ではないだろうし、今は良くても安住するのは長い目で見ると良くないだろうと思っています。そしてその資本主義がうまいこといってるのは(実際には問題だらけですが)、どうも広告のおかげなんじゃないかなぁと思うんです。

広告で商品が宣伝されるというのはもちろんのことなのですが、そうではなくて、広告が使うキレイな言葉があるから、方向性をかろうじて定めることができているような、そういう雰囲気を感じます。

広告が日本人にとっての理想の生活を見せているというかな。家族そろってみんなで楽しくしている広告とか、転職を決めて理想的な仕事をしようと主張する広告とか、そういう広告が演出する「夢」とか「理想」というのがあるからこそ、人々は「ああ、そういう生き方が良い生き方なんだな」と思える、そしてそれに向かって行動できる、というような。

ある種の偶像崇拝ですよね。そういう、「お題目」と言ったら失礼かもしれないけども、「結婚すれば幸せになれる」「子供を育てることが立派な親なのだ」「働くことは生きることだ」みたいなことを信じているわけでしょう。

ちょっと、私が就活していたときのことを思い出したんですけども、あれは銀行の説明会だったと思うんですが、なんか社員が夢に向かってキラキラと働いているようなイメージ動画を見せられたんですよね。そのときに物凄い違和感があったんですよ。これ、素晴らしい!と思う人と、私みたいに疑問を感じる人に分かれるみたいです。

別に、そういった動画に共感することが悪いことだと言いたいわけではありませんし、また広告は良くないものだとも思ってません。過剰な広告はどうかと思いますが、広告は必要なものでしょう。ただ広告というのは、予想以上に大きな影響を人々に与えているのかもしれないなぁ、と思いました。

虚構というのは、必ずしもスマホのようなディスプレイの中だけで展開されるものではありません。考え方というのもある種の虚構です。現実と虚構の区別がついている人はいいんですが、区別のつかない人にとっては広告はまた別の意味を持つのかもしれません。