子供を持ちたくない理由・結婚したくない理由・恋愛したくない理由

子供を持ちたくない理由

最初に言っておくと、私は平成4年生まれです。この記事を書いている段階では25歳です。

ネットを見ていると、若い世代を中心に子どもを持ちたくないと考える人が増えているらしいです。統計は把握していませんけども、でもそうらしいです。そして、子供を持ちたくない理由としては、経済的な事情、自分の生活を重視したい、子供が苦手だから、という感じの理由が多いようです。

私も子供は持ちたくないと考えているのですが、理由が全然違うので物凄く違和感がありました(これは極めて個人的な感想です)。私が子供を持ちたくない理由は、私自身が生きることに対してあまり肯定的ではないからです。

(生きることに肯定的ではないというと自殺を心配されることが多いのですが、あくまでも私は死にたくないので、その点は誤解しないでくださいね。生きたくないとは考えていますが、生きたくない=死にたい、ではありません。生きたくないと死にたくないは矛盾しないはずです。「1か月仕事を休んでみて思ったこと」)

生きていると何かと苦しいことってありますよね。まず生まれたら死ぬのが確定しています。生まれた以上はいつかは死ななければなりません。ある人は「子どもを作るというのは同時に殺人でもある」と言いましたが、さすがにそれは極論だろうと思いますけども、でも子供に対して死ぬ恐怖や苦痛を与えかねないのは事実でしょう。

そして死ぬこと以外にも色々な苦痛があるはずです。生まれてもいない人間の人生を予測するのは滑稽ですが、でも社会的弱者になるかもしれないし、病気になってしまうかもしれないし、精神的な苦痛を受けることになるかもしれません。一般的にこういったことは不幸と言われるようです。

もちろん幸福な人生を送る可能性もあるでしょう。よき理解者を得られるかもしれませんし、社会的に成功するかもしれませんし、健康でいられるかもしれません。

幸不幸というのは解釈に過ぎず、結局のところ本人がどのように現象を捉えるのか、ということになるので、私が生まれてもいない人間のことを考えることはナンセンスです。

しかし子どもが人生を幸福と解釈してくれればいいのですが、もし不幸だと解釈してしまった場合、私はどうすることもできないでしょう。子どもが「不幸だ」と言えば、私は「そうだね」としか言えません。これはマズいように思われます。

自分自身がクソだと思っているものを自分の子供にも経験させるというのは気が引けますし、こういう表現は奇妙ですけども、自分の子供だからこそ(いないけども)辛いことはさせたくないと感じます。もちろん本人がどう解釈するかは分からないのですが。存在しない人間に対して倫理的であろうとするのは可能なのでしょうか?よく分かりません。

 ロマンチック・ラブ・イデオロギー

ロマンティックラブイデオロギーというのがあります。なかなか難しい概念ですが、これは簡単に言ってしまえば、恋愛・結婚・行為の3つをワンセットと捉えることです。

本来この3つは関係ありません。別に恋愛を経験していなくても結婚して構いませんし、恋愛したからといって結婚しなければならないこともありません。行為についても同じことが言えます。

最近ではロマンティックラヴイデオロギーは衰退しているらしいのですが、私が田舎に住んでいるからなのか、それほど衰退しているようには思いません。今、友達が恋愛しているのですが、「そのうち結婚するのかなぁ、子供の名前とかどうしようか」みたいなことを言っていましたし、ワンセットとして捉えているのでしょう。

この友達は20代ですが、もっと上の世代、40代とか50代の人たちは(あくまでも私の周辺ですけども)完全に一緒くたにしているように感じられます。

というわけで、私は結婚する気もありません。結婚すれば周りから「子供は?」みたいなことを言われるでしょうから、それは私には耐えられないと思います。

ついでに言うと、私は25年生きていて恋愛をしたことがありません。付き合ったことがない、と表現した方がいいのでしょうか?若者の恋愛離れが問題(?)になっているらしいですが、私は典型的な現代の若者像みたいです。

私が付き合ったことがないのも子供が理由です。私が異性に興味を持つようになったのは中学の時だったと思いますが、そのときには死ぬのが怖くて、なんで生きるのかなぁというのをしょっちゅう考えていました(誰でも考えるでしょうけども、私はそのまま今でも考え続けているようです)。

またその頃の同級生は付き合い始める人もいましたけども、ロマンティックラヴイデオロギーに染まっていたと思います。彼(女)らは「このまま結婚するんだろうなぁ」みたいなことを言っていました。

当時の私としては、恋愛という個人的な関係をわざわざ国に認めてもらう(つまり結婚)必要性が感じられなかったので奇妙でしたけども、前提として子供の存在があったのかもしれません。こんな状況で付き合うのはとてもじゃないけども怖かったですし、今もそうです。

さいごに

こういう発想というのは、どことなく子供じみているようにも思います。私がまだまだ子供だからこそ子供を持つのが嫌なのかな?とか思ったりもします。

でも、世界の哲学とか思想とか宗教を見ていると、「人生は虚しい」「人生は苦痛」というような主張も数多くあります。個人的に気に入ってるのが「コヘレトの言葉」なんですけども。

既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから。

実際にこういう考えを持っていた人が過去にたくさんいるわけです(まあ解釈は難しいところですけども)。そして格闘しようとした。その事実だけでもかなり勇気がもらえます。

生きていて良かったな、と思えるのは毒のある芸術に触れたときです。鴨居玲なんか大好きです。ゴヤも好きです。もちろん絵画だけでなく、毒のある芸術作品は大好きです。ある文学者は「不幸であることは幸福である、太宰が読めるから。」と言っていましたが、こういうことを言えるようになりたいですね。

というわけで、私は生きることを否定しながらも肯定(?)することができるようになっているのですが、自分の子供が生きることを肯定できない時にこれを教える自信がありません。結局のところ本人の解釈にゆだねるしかないからです。そしてこれほどの恐怖はありません。