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記号的な思考をする人はなぜ生まれるのか



ちょっとタイトルが大げさですが、またいつものようにテキトーに書いていきます。人間離れしていく若者? - nancoluに書いたみたいに、客観的なものを頼りにする傾向や、他のどっかの記事でも書いたのですが、文脈が理解できず解釈できない人が生まれる原因というのは、主に2つじゃないかなぁという気がしています。

自己が曖昧

これはいつも書いていることですが、主観と客観が未分化で、自己形成に失敗しているというものです。テレビやネットの影響が強いと思うのですが、現実と虚構の区別がつきにくくなっています。客観とは現実のことですが、現実を正しく認識できないために客観的に考えることができず、また同時に主観を認識することができません(こうなると自分と自分以外のことが直結するので、セカイ系のような形になります)。

教育

これはよく言われることですけども、詰込型の教育です。自分で考えることをしなくなります(ざっくりしてますが…)。

ただ詰込型教育にもそれなりのいいところはあって、なんというかな、受験の影響が大きいと思うんです。センター試験はマーク式です。これだと学生が考えないというのもあるのですが、問題をうまく表現できません。また、偏差値を上げたりとか、大学の生き残りのためなんでしょうけども、少ない科目で試験が行われます。学校の勉強は役に立たないという人はいますが、実際には非常に重要で、役に立たないのではなく、役に立たせることができていないだけです。それに科目はそれぞれ独立してはいるものの、知識を直接的に他の科目で使うことはできないにしても、関連し合っているところは多いです。たとえば、数式は国語に不要ですが、数学の論理的に考える力は国語にも必要です。

生きる意味に悩む

質問をしない大学生がたまに問題視されるようですが、ある意味では当然のようにも思います。自己が曖昧で主観的に考えられないなら、自分で視点を動かして疑問を持つ、ということもできないでしょうし、そもそも考えるための知識もないのですからどうしようもありません。

でも、こういう人ってたいてい真面目なんですよね。宿題やってこいと言うと絶対にやってくるし、毎回講義にも出席します。でも実際に問題を解かせるとできない。そして就活が始まると内定がもらえずになかなか終わらない。社会から必要になれてないんだ、と勝手に思い込んで、自己評価に直結し、鬱になってしまう。(真面目系クズなんて言葉もありますね)

子供のときは子供らしくして、大人から子供扱いされて、そして現実の中で自分というのを作っていくのですが、それが行いにくくなっているのだと思います。ある程度成長してから自分を作るのであれば読書が一番手っ取り早いと思いますが、記号的な思考しかできず、また複雑性に耐えられないので、本を読めない。大変だと思います。

あと、今の若者世代に限らず、その上の世代においても、大切なことを考えずにそのまま仕事に打ち込む傾向があるため、仕事で何かの悩みを抱えると、「なんのために生きているんだろう」というように、生きる意味についてすぐに考える人も珍しくないようです。確かに、生きる意味のような簡単には答えの出ない問について考えることは悪いことではないと思いますが、アプローチを間違うと面倒なことになると思います。

こんなことを言ったら失礼かもしれませんが、遊び方から勉強し直した方が、ある意味では早いかもしれません。成長には段階があるのですが、子供を経験せずに来たのですから、大人になることはできず、よく言われる「若者」になります。大人とは何か?という問いは人気ですが、実は非常に簡単で、責任を負うということです。責任というと悪い印象を感じる人は珍しくありませんが、責任と自由は視点が違うだけで指し示すものは同じです。自由になりたいけど責任取るのは嫌、というのは自由と責任を理解していない証拠であり、大人ではないということです。自由と責任がわからないのに仕事はできません。まずは遊ぶところから始めてみてもいいと思います。とは言っても、「遊んで何の役に立つの?」なんて言われてしまいそうですが。